権力によって民族語をうちくだくことはゆるしがたい残忍さであるが、民族が言語としてよって立つ日常的伝統を、他民族のなかへ移植することも不可能なのである。私は日本語をつかいながら、そのことばのもつイメエジのほとんどを朝鮮化して用いてきた。その集積から全くのがれ去ることは、もう私には不可能なのである。
(「朝鮮断章・1 ――わたしのかお――」1968年 より)
※標準語しか知らない植民二世の、その標準語は、朝鮮の風土に育まれた標準語でもあったのだということ。
そのように植民者二世はそれぞれ固有の朝鮮化を、その精神の内部にもっているのである。
※標準語しか知らなかったという森崎和江にとって、詩は、標準語と内側から標準語を食い破って出てくる産土(朝鮮)の声との間の葛藤の産物だったのかもしれない。
それは金時鐘とはまた逆の方向からの日本語の破壊であり、再生であったのかもしれない。
※しかし、あらためて読む森崎の初期の評論の生硬さ、読みづらさはなにゆえのことなのか。晩年の文章のあの朗々とした柔らかさはなにゆえのことなのか。これもまた熟考すべき問いだと思う。