面白いな。
金達寿ら横須賀在の朝鮮人たちは、解放後すぐに旗を作ろうとして、太極旗の四隅の「卦」がわからなくて、それを覚えている古老を探しまわったのだという。
植民地の民に、旗なんかなかったんだね、朝鮮人の文学も日の丸以外の旗なんか立てようがなかっただね、
で、「そもそも、文学とは「旗」のようなものではなかった」と黒川創は言う。
そして、「緑旗連盟」と題された、実は旗なんかどこにもない植民地の民の小説について黒川創は語りはじめる。
うまいなぁ、この展開。
(その一方で、国家に抗する黒い「怨」の旗を掲げた石牟礼道子を私は思い起こす。それはそれとして、)
旗を立てる文学を強要された時代の書き手、とりわけ植民地の書き手の、
旗を立てたふりをしつつ、実は旗を降ろした文学、という困難な試みがあるわけで……
それは「転向」の問題にもつながる。
例えば、李石薫。
黒川創いわく、
「日本支配に同調したが、彼のなかでは、絶えずもう一つの霊がささやく。李は、その小さな声に耳をふさがず、記録しようとする作家だった」
あからさまに旗が立つ「短歌」のようなジャンルは?
その問いの背景には、小野十三郎、そして金時鐘が徹底的に批判した短歌的抒情がある。
現在ではハイク(俳句)は国境を越えて、アメリカ大陸やヨーロッパのさまざまな言語や生活史をもつ人々に受けとりなおされ、抒情や詩型のありよう自体も変えてきた。同じように、短歌にも転生を遂げる道筋はないのか。(黒川創)
大道寺将司の俳句を、ふと思う。