「日本語」の文学が生まれた場所 をめぐって

植民地空間に生まれた「日本語文学」は、

やがて、それが、「皇民」か否か、国家に益あるものか否かが問われ始める。

政治権力と文学の関わりのなかで、収まりどころのない宙ぶらりんの意識が、

生みだす文学がある。

 

言いかえるならば、国家と結びついた確固たるアイデンティティが求められる状況の中で、揺らぐアイデンティティによって紡ぎだされた境界上の文学があった。

 

戦時中の台湾の「皇民文学」をめぐって、黒川創はこう語る。

戦争の下でこれら(皇民文学)を書いているのは、周金波がそのとき満21歳、王昶雄が27歳と、時代に早熟を強いられた作家たちである。周金波が、自分たちの世代の文学のありようとして読んだ”皇民文学”とは、このように極端なまでに加圧された空間のなかで営まれる創作の行為全般を、その当否を問わずに指すものである。

 

文学に国境が生まれ、どの国境にも収まりがつかない文学が生まれる。

饒舌の下に沈黙を隠す二枚舌の文学が生まれる。

完全なる沈黙によって、生き方そのものを文学とする者も現れる。

 

そして、そのような揺らぐ存在や、彼らが生みだした文学は、国家の枠の中では容易に忘れられもする、ということも黒川創は語る。

日本の植民地統治下で活動していた台湾、朝鮮、満洲など、それぞれの現地人の作家らのことどもを、私たちは、ときに自発的に忘れる。そのことが、かつてそこにあった事実を私たちの目から隠してしまう。それも、また、「恥ずかしい」ことではないか。べつの見方をすれば、忘却の自発性のなかにも、政治権力の働きはあるということだろう。

 

そして、その中にあって、「忘れない」という抗い方もある。

たとえば中野重治。彼を忘れたがらない作家、と黒川創は評する。

中野は朝鮮における収奪の当事者であった父親のことを自伝的小説『梨の花』に書く。

(このことを黒川創の記述によって教えられた私は、かつてわが父の書棚にあったけれども、私が読むことのなかった『梨の花』の、あの白い花が描かれた表紙を想い起こした。朝鮮を知らぬ在日二世の父は、この本をどのような思いで読んだのか……)

 

 

自発的に忘れる世界、政治権力の圧がある世界で、特に何も気にすることなく文学に携わった日本近代の多くの文学者の中で、

漱石こそが、むろん、この世間では、狂気なのである」

黒川創

 

明治国家が下賜した文学博士号を拒否し、大逆事件後の文教政策として考えつかれた文芸委員(文芸院)という国家制度に辛辣に噛みついたという、漱石の狂気に注目。

(鴎外は国家百年の計の啓蒙の人ですからね)

 

 

ただ、いずれにせよ、文学が近代国家の枠の中で鍛え上げていった言葉は、風土とは切り離された標準語的な言葉であることは忘れずにいたい。

国家と言語が結びついていなかった世界があり、風土と結びついた声があり、言葉があり、無数の語りがあったことを忘れまい。

中央集権の圧倒的な政治権力との葛藤を抱えこんだ「文学」とは異なる、苦悩・葛藤・心情から紡ぎだされる小さな声の「語り」を想い起こしたい。

国家という枠はあまりに狭量だ。

 

 

日本語が生まれた場所、日本人が生まれた場所について、

文学が生まれた場所と合わせて、考えること。