歌集『月陰山』。
これは、植民地において最初に朝鮮人によって編まれた歌集。
尹徳祚は、2024年刊の『密航のち洗濯 ときどき作家』が基にした日記の主である尹紫遠と同一人物。
戦後、生きる術を求めて日本に密航してきた尹紫遠は歌を詠むことはなかった。
ひたすら小説を書こうとした。
植民地期末期、まだ解放の日が訪れることも、解放が悪夢になることも知らなかった尹徳祚は、こう書いている。
私は、ひそかに短歌の世界に自分の生命の絶対地を求めようとした。これによって、打ちひしがれたような自分の魂に安住の地を与えようとした。狭量で、疑い深く、然も何ものかにおびえて、常におどおどしている自分の魂の済度を見出そうとした。
しらじらと明けゆく海よ遠かすむ果ての山は月陰山か
世をさけて月陰山のふもとなる院里のはづれに住める兄かも
客死せしその友の父と語れどもつひに客死のことには触れず
深渓にわく水見れば人の世の興亡治乱も忘るべきなり
逝くものは逝かせてしまひて静かにも夏を迎ふるふるさとの江
■月陰 という山の名に漂う世の果ての気配。ふるさと朝鮮のイメージ。
ここでの静かな諦念は、密航後の尹徳祚にはもうないようにも感ぜられる。
(日本は)それでも今の朝鮮よりマシかも知れない。乞食とドロ棒ばかりがふえてゆく朝鮮。民衆の生活とはエンもゆかりも無い政治。(……)彼(李承晩)が支配するかぎり、南朝鮮に自由や希望や発展なんかあるもんか。考えてみれば李承晩ばかりでじゃない。きのうまで<日本人>になり切っていた奴らが、今ではアメ公になろうと目を皿のようにしている。そうして、そういう奴らが社会の重要な地位にのさばり返っていることも事実だ。だが、しかしだ。だからと言ってこのおれは日本へ密航していいのだろうか。(尹紫遠『密航者の群れ』より)
諦念に安住することすらできない、混乱の、宙づりの世界から、いったいどこに密航しようというのか。
日本への密航は、完結することない密航のようでもあり、そこで尹は歌を詠まない。
そんなことをつらつらと考える。
あらためて、金時鐘の短歌の抒情批判を想い起こしつつ。
尹徳祚の歌が、たとえ日本的抒情とは異なるとしても、もはやあてのない密航を生きる尹徳祚あらため尹紫遠には、歌うべき抒情を見つけかねたようにも思える。