水の出端 (本調子)



水の出端と二人が仲は
堰かれ逢われぬ身の因果
たとえどなたの意見でも
思い思い切る気は
更にない


元歌は文政初年(1818年頃)の作の上方小唄で、



水の出端と二人が仲を
たとえどの様な意見でも
思い切る気はないわいな
じっとこたえているわいな


何度か歌詞を変えて江戸端唄になって、今に伝わる江戸小唄になったんだそうな。
わたし、こういう情熱的だけど、しつこくもない、ポロリと口から出ちまったような小唄が結構好きなんですねぇ。


小唄解説では、いつも辛口というか、無粋を嫌って、女の深い想いとかが執念深くにじみ出ているような小唄には、勝手にも思える男の立場からクソミソな評をする平山蘆江先生(とわたしは思いもするけど、これもわたしの勝手な女の立場からの感想かしらね。そもそもがふだんは自分が女ということを忘れていることが多いから何とも言いかねますが)に「水の出端」を語らせると


「随分露骨ないひまはしでありながら節づけのやわらかさと、唄い出しの水の出ばなといふ文句のやさしさで面白くできている」


とまあ、「☆ひとつ半」というところでしょうか。


わたしはと言えば、この唄のどこがどう好きなのかと問われれば、
止めるに止められない、やむにやまれぬ、どうしようもない恋愛とかをしたことがないから、妄想体質のわたしは、逆に、この短い唄の中に、憧れを込めて、いろいろな物語を読み込んで果てがない。それがいいんですねぇ。40過ぎて、「恋愛」に「憧れ」、とか言っちゃうのも、なんなんだけどね。いや、他のことなら、誰が止めても止まらないザトペック(古いな)も真っ青の暴走機関車とは呼ばれています。自覚しています。でも、これだけはねぇ。


ところで、この唄の元唄といったら、1818年頃の作でしょ。200年ほど前の唄になるわけだけど、意味が十分にわかる伝わる。これが同じ頃の文人たちのかたーい文章だと、われらにはまだ古文の域に入っているはず。すらすらとは読めない。


人の想いを表す言葉(特に歌)というのは、想いが変わらぬのと同じように言葉もそうそう大きくは変わらないのかしら……なんて思っていたら、松岡正剛さんも「歌の歴史が日本語を作ってきた」とおっしゃてるんですねぇ。「日本語は歌による体のリズムの変化とともに変化していった」もので、「明治の口語は山田美妙が広めたのではなく、小唄がはやらせたのだ」ともおっしゃっている。そもそもが浄瑠璃が流行れば、関西弁が想いを乗せる言葉として勢いを持ち、それが江戸でまた江戸情緒も込めて練り上げられて、そんなこんなで作られた小唄が人口に膾炙すればするほど、日常の言葉も唄のリズムに乗せられて変わりゆく。


このお話、わたし、腑に落ちます。


書き言葉にしろ、話し言葉にしろ、体のリズムがあってこそ生きてくる、体から離れた、大脳皮質のデジタルな思考のリズムしか持ちえない言葉は、どんなに明晰に理を尽くして書かれ話されても、体に染みない、すなわち、自分の骨身にならない。もちろん知識になって、小賢しくなったりはできるけど。


骨身に染みる、骨身を削る、骨身を揺るがすような言葉を、わたしは探しているのかもしれません。
その入口のひとつが小唄。なのかな。


最近の流行り歌ではなかなか聞くことのできない、微妙な声のゆれ、拍の伸び縮み、唄の調べと三味線の音のリズムの小憎らしいほどの微妙な間のズレ。その一つ一つに、ままならぬ人の身と心が凝縮されているような気がして、小唄を聴いたり歌ったりするたびに、その深みを感じつつも、その深みにまだはまりたくともはまれないわが身の歳とは釣り合わぬ幼さに、ふーーーーっと溜息をつくのです。