ひきつづき、済州島紀行原稿、12本目まで到達。ほとんど千本ノックを受けているような心持になってくる。(原稿1本当たり、ノック50本)。ノックを受ける前はダッシュ100本、勘違いして「重いコンダラ」を引いていたりもする。ひきこもりのこの家には、いつも見守ってくれているはずの明子ねえちゃんはいない。


原稿書きの合間に、済州島の知人に頼まれた翻訳作業。粥を炊いている大釜に落ちて溶けて、五百人の息子にその身を食べさせた大いなる母ソルムンデハルマンの神話の翻訳。母親を食べてしまったことにあとで気づいた息子たちは悲嘆のあまり、石になった。石になった息子たちは漢拏山の霊室に今も茫然として立ち尽くしている。(しかし、息子は母を食べて生きるというけれど、実のところ、息子どもは身のうちに入り込んだ母に身も心も乗っ取られてしまっているのではないかと、これはもしやマザーコンプレックスの起源を明かす伝説ではないかと、翻訳しながら、たわけたことを考えもする)。


又吉栄喜『豚の報い』を読む。尾崎翠『途上にて』を読む。明日は髪を染めようと思う。今日、不意に、川のように滔々と流れて大海に漂いだしたいものだと考える。永遠にめぐりめぐる水の一滴である自分を想う。チェーホフの語る「繰り返し」の意味と無意味を想う。