石の記憶、石の声。


12月24日、上野の森美術館にて「日本の語り芸」を堪能。演者は薩摩琵琶:後藤幸浩、鶴田流五弦琵琶:水島結子、浪曲師:玉川奈々福、曲師:沢村豊子浪曲陸奥間違い」にはじまり、琵琶二人組の「平家物語」、そして琵琶と三味線の即興の音の会話のなか「音曲百人一首」。
ああ、琵琶のこの音色、この語りは鎮魂なんだな、祈りなんだなと思いつつ、今年のさまざまな出来事を振り返り、黙祷を捧げるような心持で調べに聴き入った。


浪曲は生きる力。歴史などにはけっして主人公として登場しない、でもそれぞれが人生の主人公である、そんな庶民の生きる力の語り。
生きるほうへ、生き抜くほうへ、そんな祈りの場に身を置いた夜。
この祈りの場が開かれた、この美術館の空間が、おごそかな幻のような、見えない世界への通路のような、何とも言えぬ空間。「森仁志のあゆみ展 −カルナックの巨石から大版画へ」の展示に囲まれた空間。巨石に憑りつかれた男が石の声に耳を傾け、石と記憶を語らった、その結晶がたくさん。

石の声に唱和するように、琵琶の音色、三味線の音色、語りの声。



どこにも石の声を聴いてしまうキチガイはいるのだなと、わが敬愛する済州島キチガイ(←最大級の賛辞)を想い起こした。
左の画像は済州島キチガイが、石と世界の創造を語らって、神話の再生を企んで、たったひとりで集めてきた巨石群。名づけて五百将軍。

ここにも祈りがある。