祈る。

カタリと芸能と神について考えている。それを考える私の原点は2000年代に通い続けた八重山の祭祀と芸能の風景がある。川平のマユンガナシ、宮良のアカマタクロマタ、四か字のアンガマ。それは芸能の根源的な姿を今に伝える場。折口信夫に様々なインスピレーションを与えた風景でもある。

神は歌が好きなのだと言ったのは、信仰深い島の三線弾きのナミイおばあ。このおばあに、十数年前、出会いがしらに、「あんたの頭の上には神がいない」と言われたのだった。人間は誰もがチジ(=頭)の上に神がいるはずなのに、おかしいと。そのときから、どこかを彷徨っているらしい神のことを私は想い続けている。

そして5月20日、私の世代のカタリの芸能者たちが一同に会して、それぞれに歌い語る。場所は、三軒茶屋にほど近い太子堂八幡神社。その境内に水族館劇場が組んだ特設舞台「化外の杜」にて、「千年放浪かもめ組」と名乗って。

この千年放浪かもめ組のカタリの場を「化外の杜」を開くにあたって、まず我らがやることは、祈り。放浪の芸能者はそれぞれに祈りの歌、祈りの言葉を持っている。神を忘れた芸能は、単なる娯楽に過ぎない。千年放浪かもめ組は人の頭の上に宿る神と歌を交わし、思いを交わし、祈る者たちである。