「わたしは居心地がよいと思う場所には決していたことがなかった。(・・・・・・)さまざまな理由で、恥辱がわたしの全人生を覆い尽くしている」 (デュラス『愛と死、そして生活』)

「殺したい、という欲望を、わたしは一生もち続けている。はっきり言う。わたしがもち続けているもののなかでも、最ももち続けているのはそれだ」(『アルテルナティヴ・テアトラル』誌より)

「物事を学んだとたんに、あるいはそれらを見たとたんに、早くも考えることができ、何を言い、どう結論すべきかを知っている人々を見ると、わたしは逃げ出してしまう。(・・・・・・)音楽を聴いている最中に音楽を語り、チェロのための組曲を弾いているときにバッハを語り、神について語っているときに宗教について語る(・・・・・・)人々から逃げ出さねばならまい」(デュラス『八〇年夏』より)


「わたしたちは見かけ通りのものだった。わたしたちはもっと違うように自分を見せたいといった配慮など一切しなかった。それこそがわたしたちの高貴さだった、あの野蛮さがだ」(『ル・ヌーヴェル・オブセルヴァトゥール』誌より)

「ことばが、まじり合ってひとつの新しいことばになるとき、わたしはノール県の方言を、イディッシュ語を思う」(『リベラシオン』誌より)


「読書の大陸に向かって、ただ一人で出発しなければいけない。ただ一人で発見するのだ。この誕生をただ一人で実行するのだ。例えば、ボードレールのすばらしさを発見する最初の人間であらねばならない。そうすることで最初の人間となる。そして、もし最初の人間でないとしたら、ボードレールの読者には決してなれないだろう」(『ロートル・ジュルナル』誌 1985年、9号)

「たとえ白昼に、外で読書するとしても、夜がほんのまわりにつくられる」(デュラス『トラック』より)

「書くことは自分を殺すことだ。だが死によって殺すのではない」(『デュラスと共に仕事をする』より)

※デュラスにあっては、文ではなく語が本質的である。語によって、しかも語によってのみ、テクストが生成する、
とクリスティアーヌ・ブロ=ラバレールは言う。

私には、デュラスのテクストは、秘事を覗き見る声のように聴こえる。