足尾銅山の描写はそれなりにすごい。

おぼっちゃま君は周旋の男に連れられて、桐生あたりから歩いて歩いて山に分け入って、ついに足尾の町に入る。


「只一寸眼に附いたのは、雨の間から微かに見える山の色であった。その色が今までのとは打って変っている。何時の間にか木が抜けて、空坊主になったり、ところ斑の禿頭と化けちまったんで、丹砂の様に赤く見える。(中略)この赤い山が、比較烈しく自分の視神経を冒すと同時に、自分は愈々銅山に近づいたなと思った。」


「それから十五分程したら町へ出た。山の中の山を越えて、雲の中の雲を通り抜けて、突然新しい町へ出たんだから、眼を擦って視覚を慥かめたい位驚いた。(中略) 新しい銀行があったり、新しい郵便局があったり、新しい料理屋があったり、凡てが苔の生えない、新しずくめの上に、白粉をつけた新しい女までいるんだから、全く夢の様な気持で、不審が顔に出る暇もないうちに通り越しちまった。」


さて、数ある飯場のひとつの親方に身を預けられるが、どこからどう見てもおぼっちゃま君のわけだから、誰も本気で坑夫になるはずがない、できるはずがないと思ってるわけだが、それでも坑夫志願ということで地の底まで連れて行かれる。


「どうだ此処が地獄の入り口だ。這入るか。」


おぼっちゃま君は意地でも入っていきましたが、閉所恐怖症の私はこのくだりは、息がつまって、心臓は不整脈を起こして、死にそうな心持になりました。おぼっちゃま君も別の意味で死にそうになっていましたが。

おぼっちゃま君は、地底で仏のような人に会う。仏はおぼっちゃま君にこう話しかける。

「日本人なら、日本の為になる様な職業に就いたら宜かろう。学問のあるものが坑夫になるのは日本の損だ。だから早く帰るがよかろう。東京なら東京へ帰るさ。そいして正当な――君に適当な――日本の損にならない様な事をやるさ。何と云っても此処は不可ない。旅費がなければ、おれが出してやる。だから帰れ」


おぼっちゃま君は自我を持て余している近代青年なので、はいそうですか、というふうにはならないが、坑夫一万人いれば、一万人みんな畜類かと思っていたのがそうでもないと学ぶわけで、書生には書生の帳面付けの仕事を与えられて、銅山に半年ばかりいることになったというわけです。


『坑夫』は1908年に朝日新聞に連載。

その前年1907年には足尾で坑夫の暴動が起きて世を騒がしている。
同じく1907年、足尾銅山鉱毒で苦しめられている渡良瀬川下流を洪水が襲っている。
田中正造が「人造洪水」と呼んだ洪水だ。
銅山の坑木調達のための木の乱伐、精錬のときの亜硫酸ガスによる立ち枯れで赤い禿山になって保水力を失くした山々が「人造洪水」をもたらしている。


このタイミングで、おぼっちゃま君が足尾に向かうことになったのは偶然や否や。
もちろん、おぼっちゃま君は社会問題など語りはしない。語るのは常に自分のこと。



そういや、このころ漱石は満韓の旅に出ているね。『満韓ところどころ』。