近代社会において暴力の予感にさらされつづける者としての「異人」に出会うとき、そこに見いだすのは、「死体化」の時間を生きる説経の主人公たちの姿であったりもする。


●ある沖縄人の声

「戦場化を押しつけた者がいなければ、わたしは沖縄戦にこだわらなかったはずだ。しかし、沖縄人を殺した日本人がいた。沖縄人を殺した沖縄人がいた。朝鮮人を殺した沖縄人がいた。そして、沖縄人はわたしだ。わたしが日本人に殺され、沖縄人を殺し、朝鮮人を殺したのだ」


近代日本。異人とは誰なのか?


●沖縄の小学校での教師の言葉

「大震災の時、標準語がしゃべれなかったばっかりに、多くの朝鮮人が殺された。君達も間違われて殺されないように」


命がけの言葉としての標準語、殺されない、生き延びるためのものとしてのギリギリの言葉。殺された者の傍らに立つ者の言葉

●標準語。

それは死体の傍らの言葉なのだ。死臭漂う言葉なのだ。

この死臭漂う言葉で、近代日本文学は形作られてきたのか?
この言葉に抗する言葉を立ち上げる身悶えをする者たちはどこにいたのか?


●異人とは誰なのか?

「私は異人ではない」と言わずにはおれない者、
「おまえは異人か?」とと問われる者、
とすれば、ほとんどすべての者は異人なのではないか?
近代社会とは、異人たちの社会なのではないか?
殺されるのが恐い私は異人ではないと主張する私になるのだろうか?
私は朝鮮人ではない、
私は中国人ではない、
私は沖縄人ではない、
私はハンセン病ではない、
私は部落ではない、
私はあなたと同じだ、あなたとなにもかも同じだ、同じだ、同じだ……、


私は異人である、みずから名乗る私は、抗する者としてそこに立つ。
私は異人である、みずから名乗る私は、身構える者としてそこに立つ。

あるいは「死体化」(🄫西成彦)を生きる「異人」として、私はそこで凍りついている。


★戦場を日常から切り離すことも、植民地支配を他者の問題として了解することも、いくら良心的な心性にもとづいていたとしても、拒否しなければならない。(冨山一郎)


関東大震災時の比嘉春潮の経験

朝鮮人だろう」(自警団)
「ちがう」(比嘉)
「ことばが少しちがうぞ」(自警団)
「それはあたりまえだ。僕は沖縄のものだから君たちの東京弁とは違うはずじゃないか」(比嘉)
「何をいっているんだ。日清日露のたかいで手柄を立てた沖縄人と朝鮮人をいっしょにするとはなにごとだ」(友人)


殺すか殺されるかという暴力の予感にさらされつづける者たちの存在


●1910年 韓国併合直後の比嘉の日記

「去年二九日、日韓併合、万感交々至り筆にする能わず。知りたきは吾が琉球の真相也。人は曰く琉球は長男、台湾は次男、朝鮮は三男と。嗚呼、他府県人より琉球人と軽侮せらるる。又故なきに非ざる也。琉球人が琉球人なればとて軽侮せらるるの理なし。あれど理なければとて他人の感情は理屈に左右せらるるものにあらず。矢張り吾等は何処までも「リギ人」なり。ああ琉球人か。」



●以下は、西成彦氏による『暴力の予感』への言及。

冨山一郎さん(1957- )は、近刊『始まりの知/ファノンの臨床』(法政大学出版局、2018)のなかで、かつて『暴力の予感/伊波普猶における危機の問題』(岩波書店、2002)の第二章でも大きく取り上げられていた伊波普猶(1876-1947)の日清戦争期をふり返る文章に、あらためて目を向けておられる。

日清戦争時、沖縄にいる日本軍関係者や警察、さらに日本から沖縄にやってきた商人たちが自警団を作り、沖縄の住民を清国になびくものとして問答無用で殺そうとしたのだ》(p. 41)が、この時代をふり返りながら、伊波は『古琉球』(初版1911)に、こう書いているのだ――《何人も大勢に抗することは出来ぬ。自滅を欲しない人は之に従はねばならぬ。一人日本化し、二人日本化し、遂に日清戦争がかたづく頃にはかつて明治政府を罵つた人々の口から帝国万歳の声を聞くやうになりました》(初出:沖縄公論社版、p. 110)と。

こうした流れのなかで、琉球処分(1879)後も、しばらく沖縄戸籍の男子に対して取られていた「徴兵免除」の措置が、1898年からは全面解除ともなるわけだが、冨山さんは、上のくだりを次のように読む――《この記述には、軍と自警団による問答無用な暴力に晒されている脅えた伊波の身体が隠されている。それは、間違われるという恐怖であるだろう》(p. 42)と。

『始まりの知』のなかでは、この話が、関東大震災直後の東京で、自警団から「朝鮮人だろう」と嫌疑をかけられたという比嘉春潮(1883-1977)のエピソードや、独立戦争当時のアルジェリアで「しばしばアラブ人と間違えられた」というフランツ・ファノン(1925-61)の経験と並置される形で引かれるのだが、翁長雄志(1950-2018)さんの後任を決める沖縄県知事選挙の投票日を次の日曜日に控えたいま、このエピソードは、沖縄人につきまといつづける「アイデンティティ」に関する悩みの深さを明らかにしているとも言えるだろう。

「日本国臣民」のうちに加えられてから後も、「清国民=中国人」に間違えられる恐怖を前にして常時身構えていなければならなかった彼らは、沖縄県出身であるが故に、中国語がうまければ、「やはり…」と言われ、復帰後は英語がうまいだけで、やっぱり「やはり…」と言われてきた。こうした経験を、芥川賞作家・大城立裕(1925- )は執拗に作品化しつづけてきたのだが、こうした圧力はいままさに強化されてきているように思えてならない。

「君たちが日本人などであるはずがない」という宣告と、「それでも日本人であれ」という命令との二重の暴力が、昔も今も吹き荒れている。