『分解者たち  見沼田んぼのほとりを生きる』(猪瀬浩平 生活書院)  メモその2

2017年7月下旬 相模ダム建設殉難者追悼会に筆者は自閉症の兄とともに参加する。

戦前にダム建設で亡くなった日本・中国・朝鮮の犠牲者に対してだけでなく、前年7月のやまゆり園事件の犠牲者に捧げる黙祷も合わせて行われたそのとき、自閉症の兄が叫んだ。「あーーーーーー」。

 

私は狼狽した。この時間だけはやめてくれと思った。しかし、私は兄に対して何もできずに黙祷を続けた。兄は、様々な人の視線を集めた。

 

叫んでいない私は、兄の叫び声に震えた。そして、自分は津久井やまゆり園の事件に対しても、何も叫ぶことなく、ただ言葉だけに頼り、言葉だけを発し続けていることに気づいた」 

 

名を明かされぬ(名を奪われた)犠牲者たち、「語ることができない人」とされていた者たちのことを筆者は思う。

 私が無残に殺されるとき――つまり、生きている、その最期の瞬間――に、叫ぶであろう声を、彼、彼女が叫んだものとして感じながら、確実に、彼、彼女のものでしかないことを想い、たじろぐ。

 叫んだ声が、吶喊である。 

 

吶喊を筆者は「共同体が立ち上がるとき、最底辺に置かれた受難者の声なき声」と言う。「万歳」(たとえば植松の「殺すぞ」というような意味ある言葉は、勝利を寿ぐ意味での万歳と、意味があるという点で同類の言葉)のように意味を持つ声ではなく、「吶喊」には明確な意味はない。

意味を与えることのできない苦しみのなかで、私たちは立ち尽くす。

なぜその土地であったのか、誰が命を奪われたのか、

人の名前(どんな生を経験した人なのか)と土地の名前(中心と辺境の関係の中で、そこはどのような場所なのか)は重要なことだ。