藤本和子『塩を食う女たち』を読む。

 

藤本和子のこと、ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』の名訳で初めて知って、その絶妙な訳には痺れて、それから藤本和子訳のブローティガンはとにかく読んだ。

 

『塩を食う女たち』は藤本和子自身の著作。北米の黒人女性の聞書。

 

その冒頭の一文から、ガツンと来るな。さすが藤本和子さん。

 

「わたしたちがこの狂気を生きのびることができたわけは、わたしたちにはアメリカ社会の主流的な欲求とは異なるべつの何かがあったからだと思う」 こ

 

私も、

狂気を生きのびることを考える日々だから、

日本社会の主流的な欲求とは異なるべつの何かを追いかけているから。

 

藤本和子は、黒人女性から聞いたこんな言葉も書きつける。

「語ること、自分は創造するものだという態度ではなく、わたしは代弁者なのだ、自分を超えた場所で代弁するのだという伝統がある。一般に浸透したものとして。ビリー・ホリデーもそうだったもの。彼女は彼女のストーリ―の主人公を生み出し、その女について語ったものだった。自分から離したところで。男のブルーズシンガーもやはりその伝統で歌ってきたのだから。」

 

これ、石牟礼道子の『苦海浄土』の世界でもあるね。

前近代の旅する語り手たち―瞽女や祭文語りたち―の世界でもあるね。

 

「自分を超えた場所で代弁する」。ここんとこ、大事。