東北行  メモ01

やっと奈良にたどりついた。
 
東北の旅の間、復興という名の復興ならぬ何か禍々しいものを見続けて、
嵩上げという名の記憶殺しの現場も見て、(いまはまだ現在進行形の現場に立てば、作られつつある歴史の裂け目がまだ見える)、
震災遺構の瓦礫も見て(いや、被災者と同じく、記憶を秘めた被災物と呼ばねばならない)、
そして、
持ち歩いていた『ヴァルター・ベンヤミン』を折々読んでいた。
 
裂け目に立って、
被災物を目に食い込ませて、
歩いて、
想起すること、
そして、やつらが作り上げている歴史を”逆なで“すること、
やつらの歴史に楔をうちこむこと、
 
「歴史を書くとは、神話としての歴史に抗して、それが抹殺した死者と、この死者が巻き込まれた出来事とをその名で呼び出し、死者の記憶を証言することである」
 
「今や歴史は、「抑圧された者たち」から語り出される」
 
「歴史を語るとは、この地点から、破局破局を重ねてきた過程を見返して、それを中断させることである。ここに革命が起こる」