藤野裕子『民衆暴力――一揆・暴動・虐殺の日本近代』  メモ

近代国家とは、

「ある一定の領域(中略)のなかで、レジティマシーを有する物理的な暴力行使の独占を要求する(そして、それを実行する)人間の共同体」(マックス・ウェーバー『仕事としての学問 仕事としての政治』より)

 

 

近世においては「仁政イデオロギー」によって、領主権力の暴力、百姓の訴え(一揆)の正当性/不当性が決せられた。

 

幕藩体制が揺らぎ、暴力の正当性/不当性を決するイデオロギーが揺らげば、暴力の作法からの逸脱がはじまる。

 

幕藩体制の揺らぎは、経済の揺らぎによるものなのだが、それによって貧富の差が拡大してゆくときに、<通俗道徳>が強調されるようになる。二宮尊徳のような。

「勤勉・節倹によって生活を立て直し、家を維持せよ」

それでも貧しい者は自己責任。

(これは支配の手法の一典型ですね。今でも大いに活用されている)

 

それに抗するかのように、村の若者、下層の農民は「遊び日」を勝手に作って、働かない、遊ぶ、そういう現象も起きていた。

⇒ この反抗の精神、通俗道徳で縛ってくる権力からの解放の願望が「ええじゃないか」につながったのだともいう。

 

さて、混乱の幕末から明治維新とうつりゆく急激な近代化の過程で、「暴力」の正当性/不当性のイデオロギーも書き換えられてゆく。その過程で新政反対一揆もあり、西南戦争のような内乱もあった。

それが鎮圧されてゆく経験をとおして、国家の暴力の正当性/正統性が認知されてゆく。

同時に、近代化の進行のなかでの経済政策の失敗(たとえば松方デフレのような)による生活の困窮が、またもや通俗道徳によって解決が図られようとする。

 

通俗道徳は、明治期になると、このように公権力による統治のイデオロギーに用いられた。自己責任の世界の到来を「抑うつ的で緊張にみちた”近代”というものが、人びとの生を全面的に規制しはじめた」と安丸は表現している。(『文明化の経験』)

 

この通俗道徳に収まり切れないエネルギーの爆発の一つの形として、日露戦争後の「日比谷焼き討ち事件」がある。

 

そこで、国家は暴力装置のあり方を変容させる。

軍隊や警察といった国家装置とは別に、民間のなかに自警組織を作る発想が生まれた。(中略) 「警察の民衆化、民衆の警察化」が推し進められた。

(中略)

「民衆の警察化」は、青年団在郷軍人会などを基盤に、安全組合・自衛組合・保安組合といった自警組織が、警察の指導のもとに各地域でつくられたことを指す。

「警察の民衆化、民衆の警察化」によって、警察機能が地域社会のなかに浸透していったのである。

 

(なるほどね。これが関東大震災の際の朝鮮人虐殺を引き起こした自警団へとつながっていくわけで、いまの自粛警察めいたものの遠い根っこでもあるようにも思える。)

 

朝鮮人虐殺は、植民地支配とは切っても切り離せない。

① 「不逞鮮人」という表現は、1919年3月1日~の朝鮮独立運動以降、日本国内で多用され、震災時の「朝鮮人テロリスト」的な妄想へとつながっていった。

 

3・1独立運動後の朝鮮総督府政務総監だった水野錬太郎が、関東大震災時に治安維持を担った内務大臣であり、戒厳令施行の命令を出した。警視総監赤池濃も、3・1運動後の朝鮮総督府の警務局長だった。つまり、朝鮮人の反乱を強烈に意識した統治経験を持つ者たちだった。

 

官憲がデマを広め、軍隊が朝鮮人虐殺に乗り出し、政府も戒厳令を出す。

それが、自警団が安心して積極的に朝鮮人を殺せる状況を作った。

「天下晴れての人殺し」

 

一方、国家による虐殺については隠ぺい工作が図られ、虐殺の罪を問われたのは自警団等の民間人のみとなる。

 

民間人には民間人の加害の論理もあった。

① 日本人の底辺労働者層は安価な労働力であった朝鮮人に仕事を奪われているという感覚があった。

②不逞鮮人から人々を守ろうという義侠心

③男性労働者の間の「男らしさ」を大きな価値とする文化

④国家お墨付きの虐殺なのだから、恩賞にあずかれるはずだ。

⑤一度殺し始めると、報復を恐れて皆殺しへと突っ走ってゆく。

 (相手はテロリストの不逞鮮人だから)

⑥差別感情の発露

 

 

権力に抗い闘う民衆は、同時に差別感情を持って被差別民を襲う民衆でもありうる、ということ。

ひとたび暴力が発動されると、それはさまざまな負の感情も引き出して、反権力だったはずが、被差別民を叩く快感へと転じていくことも十分にあるのだということ。

民衆内部の権力関係によって発動される暴力もあるのだということ。

 

(と、いろいろメモって来たけれども、相も変わらず、さらに巧妙に、なおいっそう暴力的な国家や、国家のお墨付きをもらっているかのように堂々と暴力的な人々や、その暴力にさらされている日本社会のマイノリティの状況の根源にあるものを見るような思いがした。耐え難い暴力が隠微に振るわれ続けている今を強烈に感じつつ。)