そして隣り合う郡として、また一帯の地域として載寧郡も登場する。
黄海道のこの辺りは、平安道と合わせて「西北地方」と呼ばれていた。
ふと思い出したのは、金素月「南勿里原(ナムリボル)の唄」(1927)。
この詩を私は『韓国の流民詩』(尹永川 実践文学社)で読んだ。
載寧は、東洋拓殖会社の最初の標的になった肥沃な地域と言われている。
東拓の下、農地の地主経営が強化され、多くの土地なき農民が満州へと流れていった、その悲哀を素月は歌っている。
東拓の駐在員、そしてその下で働く朝鮮人の管理人、御用小作人(日本人地主の農地でで働く小作人)がおり、場合によっては7~8割を超える高率の小作料が課せられ、小作権が剥奪され、地主と小作人の間にいた 중답주(中畓主:地主から土地を借り、さらに他の小作人に土地を貸す中間支配層のような存在)も排除された。
そのようなことをとおして、「日帝侵略期の韓国の歴史の縮小版」とまで言われるようになる状況に置かれていたのが「黄海道載寧」だという。
1927年に起こされた激しい小作争議の結果、朝鮮人の農民が所有していた良質の土地が日本人所有となり、その土地は「小日本」と呼ばれるようになったとも『韓国の流民詩』には書かれている。
その一方で黄海道(と平安道を加えて西北地方)一帯は、近代とともに朝鮮にやって来たプロテスタントの種が最初にまかれたところであり、キリスト教信仰が日帝支配への抵抗の拠り所となった歴史を持つ地域でもあったという。
解放後、この地域はキリスト教(親米)とマルクス主義の対立・葛藤の場ともなる。
そして、朝鮮戦争当時、米軍が北上してきて、載寧も巻込んだ形で北朝鮮の支配の及ばぬ空白地帯が信川に現れた時、植民地期にもそれなりの暮らしを形作っていたがために人民委員会による処分や処刑の対象とされたキリスト信仰を持つ富裕層が、かつてのこの地域の最底辺の者たち(いわゆる無産階級)であり、人民委員会の中核を担っていた者たちやその家族の大量虐殺へと、アカ狩りへと、先を争って駆り立てられていく。(この虐殺に落伍したら、裏切者とされて自分がやられるかもしれないという恐怖とともに)。
北朝鮮では公式的には米軍によって行われたとされている、この凄まじく陰惨で酷い信川の虐殺の記憶の「真実」が、『客人」では語られる。
「客人」とは、そもそも、天然痘(=西からやってくる病)をもたらす神を指して人々が言う言葉として、この作品の中では登場する。そして、その意味合いは、作家によって、人々を憎悪と虐殺に駆り立てる対立の枠組みを形作った「マルクス主義」と「キリスト教」(どちらも西からやってきた)へと広げられる。
しかし、なぜに、
キリスト教を信仰する青年たちが狂ったように人を殺していったのか?
小さな共同体の中で、それぞれにマルクス主義とキリスト教を奉じる者たちが、反共か否か、アカか否かをめぐって(実のところは、マルクス主義でもキリスト教でもない理不尽としか言いようのない激しい憎悪によって)殺しあった末の和解は、いかにして為されるのか?
作家は、黄海道のシャーマンによる伝統的な巫祭「客人巫祭(ソン二ムクッ)」の形式に則って、12の「場=マダン」を次々開いていくようにして、死者と生者の入り混じる語りの場を立ち上げる。
互いに殺し殺されした死者たちはそれぞれに殺戮の記憶を語りだす。
語り終えた死者たちは恩讐を超えて、ついに、共に、天へとのぼってゆく。
さてさて、想い起こされるのは、済州島で繰り広げられたすさまじく無惨なアカ狩りである4・3事件(1948~)においても、反共青年団として悪名高かった集団が「西北青年団」であったこと。
彼ら、西北青年団も、おそらくその多くはクリスチャンだったのだ。そして、彼らも信川のキリスト教青年団のように、アカ狩りの名のもとで島民を無惨に虐殺したのだった。
その背景には、植民地当時の黄海道のクリスチャンたちの抗日精神、解放後の抗日から親米・反共への流れがあった。
クリスチャンたちは小地主でもあったから、北に成立した社会主義政権によって宗教を否定されるだけでなく、土地や財産、さらには命を奪われ、憎しみをともなう反共へと追い込まれゆく。
『客人』という小説では、背景にあるだけで、文字にして語られていることではないが、
済州島の4・3事件と、朝鮮戦争中の北朝鮮での信川の虐殺は、一本の糸でつながっているということ。
そこには、アメリカーキリスト教ー親米という線があったということ。
そんなことにも気づかされて、愕然とさせられた。
そして、4・3事件の犠牲者の鎮魂について語る詩人金時鐘が、土地の神によってその魂は鎮められねばならぬと言ったように、信川の虐殺を語る黄晳暎もまた土俗の巫祭による鎮魂を試みたということ。
おそらくそれは偶然の一致ではなく、殺し合った者たちの和解の道は近代の論理を超えたところにしかない、ということを、詩人あるいは文学者たちは気づいているのだということなのだろう。
『客人』では、主人公柳ヨセフの一族の大おばあが巫女のような役割を果たして、物語が過去に向かって動き出すそのときに、ヨセフの記憶のなかでこんなことを語る。
人間はだな、祖先を祀らなくてはまともな人間としての道理を守ることはでけん。他国の神を祀ったばかりに国がガタガタになり、滅んでしまったんだよ。
大おばあ様は湧き水を張る平鉢や、お膳やそして香を焚く香炉を木綿の風呂敷に包んだ。そして石を積み重ねた道端の塔の前に立っている村の守り神、木彫りのチャンスンを指差した。
末っ子や、ここにお辞儀しなさい。
えーっ、これいったい何なの。
峨眉山の法師様じゃないの。子どもたちがよくかかる客人(天然痘の神)をやっつけてくださる方さ、だからよく拝むと病にかからず長生きできるのよ。
(中略)
疫病神とはだいたいがもともと西の方からやってきた病だそうだ。西の方の国の野蛮人の病というから西洋神を信じている国から来たに違いないじゃないか。あたしはおまえの祖父の上の二人の息子を疫病神にとられたから、西洋神に腹が立たないわけがあるかい? 頭を下げて拝めるかい? 人間は自分の根本を知らにゃ幸せにはなれん。
(『客人』P36~ )