石牟礼道子『アニマの鳥』メモ2  しもじもの声

第5章 菜種雲

 

おうめ。

 

あたいの仕込む酒はな、甕の中で、ナマンダブ、ナマンダブちゅうて泡の立つとぞ。お念仏唱えん者には、呑ません 。 

 

顔を見たこともない殿さまや、代官所の役人たちがどのくらいの人間だか知らぬが、わが身を使って働いたことのない者が、百姓の丹精しあげた作物を、紙切れ一枚で取り上げようなどとは、とんでもない心得ちがいだ、とおうめは胸のうちで思う。

 

三吉の母  (神経どんのおもかさまのような存在)

麦も腐れて、稲も育たぬ雨になろうぞな。世の中の根元が腐れ落ちて、溶け出す成り行きと思わぬかえ。 

 

(中略)

 

世の中の腐れ落つるのが肥やしになって、まことの国が生れはすまいかいのう

 

(中略)

 

雨は恵みの雨なるぞ。麦は腐れて、稲は育たぬ成り行きじゃ。この世の根元の押し流されて、父っつぁまの血の川も、この雨に交ざり合うてな、やがて澄んできて、アニマの草木の萌ゆるとぞ。

 

(中略)

 

三吉、熊五郎、生き人形のからくりの都から、軍勢の来申すぞ。定市、お前は油断するまいぞ。

 

熊五郎

父っつぁまの殉教のあと、おふくろさまはものも言わずに、おとなしばっかりじゃったちゅうが、その時ののほうが仮の姿で、今やっと、本性に立ち返らいたのと違うか。

老女が気がふれているのか、世の中が狂っているのか。

狂っている世の中では、まともな者は狂人となるほかない……。

 

 

定市

本性ちゅうは、誰でも持っとるがな。けれども人前では、それは出さんものぞ。みんなして、それを出したらどうなるか。お互いそれを出さずにおるゆえ、世の中は収まっとる。お前とわしの間も収まっとる。

 

 

第6章「御影」

 

益田甚兵衛 (四郎の父)

 

幕府はこのままわれらの宗門を放置するつもりはあるまい。知らず知らずのうちに網の中にとりこめられ、生きるしるしも立て得ず、みすみす自滅の淵へ引きこまれつつあるのが、近年のわれらの姿ではなかったか。

(中略)

かつて武士たりしわが身の履むべきは、ひたすら義の道しかない。戦場をはせめぐる勇猛心をもって、御主キリシト様のごとく、万人の魂の救いのために命を賭けるのが、わが義の道ではあるまいか。

いまぞ再び、公然と宗門の畑を立てねばならぬ。豺狼のごとき領主どもの支配より脱して、万人ともによろこびを生くるアニマの国に至らねばならぬ。救い米など無用じゃ。領主どもの倉をみたす米穀は、もともとわれら百姓への、天の恵みじゃ。領主どもの倉を打ち破り、キリシト様を御主と仰ぐわれらが国を、この天草に打ちたてようぞ。その外にわれらの生きる道はない。

 

「義によって助太刀いたす」 

水俣病を告発する会代表の本田啓吉さんの言葉を思い起こす。

 

第八章「狼火」

上津浦 庄屋七兵衛方のばばさま

とかく自分の魂の見えん者の方がこの世には多い。そういう者が自分に一番高い値段をつけて恥じない。

 

第九章「夕光の桜」

坊さま西忍の言葉

わしの宗旨でも西方浄土というがなあ……。わしはのう、マリア様ちゅうて祈るのも、南無阿弥陀仏と唱うるのも、別に変りはなかろうと思うとるのじゃ、

 

 

原城オラショ

土より生れ出たすべての者たちの、天に願う声

 

第十章「炎上」

おうめ

 

百姓は虫けらとおなじじゃと言われて来やしたが、地面の上下にゃあ、虫もいろいろおって、可愛ゆうござりやす。信心深か虫もおりやすぞ、きっと

 

あたいのふた親は教えよりやした。百姓は虫けらじゃと言われても悲しむな。鳥けもの、虫けらたちは仏さまのお使いぞ。わしらが働くのも、あれたちが働くのも、食うためかもしれんが、それだけとは思えん。何か役目のあるとぞ、なあ。

 夏の初めに蛍がああやって灯るのも、秋の虫が鳴くのも、短い命でまあ、命を創って下さいた仏さまに、今を生きておりやすと、手をすり合わせてこう歌っておる由にござりやす

 

愛(かな)しさや身もふるうなるおぼろ月

三千世界は花吹雪かな

 

この歌はまさに、『あやとりの記』のおもかさまとみっちんの歌。

『春の城』におけるおうめの存在の大きさ。

 

「幻のえにし」(『天の魚』所収)を思い起こす。

 

生死のあわいにあればなつかしく候
みなみなまぼろしのえにしなり

御身の勤行に殉ずるにあらず 
ひとえにわたくしのかなしみに殉ずるにあれば 
道行のえにしはまぼろしふかくして
一期の闇のなかなりし
ひともわれもいのちの真際 かくばかりかなしきゆえに 
煙立つ雪炎の海を行くごとくなれば 
われより深く死なんとする鳥の眸(め)に逢えるなり
はたまたその海の割るるときあらわれて 
地(つち)の低きところを這う虫に逢えるなり
この虫の死にざまに添わんとするときようやくにして 
われもまたにんげんのいちいんなりしや 
かかるいのちのごとくなればこの世とはわが世のみにて我も御身も 
ひとりのきわみの世を相果てるべく なつかしきかな
今ひとたびにんげんに生まるるべしや 生類の都はいずくなりや
わが祖(おや)は草の親 四季の風を司り 
魚(うお)の祭りを祀りたまえども 
生類の邑(むら)はすでになし 
かりそめならず 今生の刻(こく)をゆくに 
わがまみふかき雪なりしかな

 

 

いわゆる普遍宗教を風土をもって、そこに生きるすべての命をもって、地のひくきところから書き換えてゆく「土から生れ出たすべての者たちの声」を聴く。

 

 おうめ

親の顔も見分けえぬ頃の、赤子の泣き声は、切のうござりやす。あの頃から人間は、天地の間の一人子でござしょうなあ、旦那様

(中略)

あたいもその、天地の間の一人子でござりやした。ここのお家に来させてもらうて、人の世の情愛、絆というものにありつき申した。

 

 

マリア様と観音様がお逢いになられたら、お二人とも、さらに優しう、仲良うなられるのじゃあなかろうか

 

おうめの主である口之津の庄屋 仁助

この世において、はかり難く巨きなものと、ごくごく小さなものは等格であり、ともに畏れ敬うべきであると彼女は言っているのだ。キリシト様の教えらるるへりくだりの心を、さらに深めて生きて来た百姓女が静かな威厳にみちてここにいる。