昨年12月に那覇ジュンク堂一階で開催されていた古書市の、ちはや書房の棚で見つけた本。
1955年 米軍が伊江島真謝地区に襲いかかり、家をブルドーザーで潰し、火を放ち、農地を軍用地として強制収用する。
そこから土に根差し、暮らしに根差し、人であることに根差した、阿波根たちの決して礼を失うことのない、正々堂々の闘いが始まる。
これは二つの意味で非対称の闘い。
一つは、「力」という視点で見れば、これは、
圧倒的な暴力で迫ってくる米軍と、無力を非暴力という武器に転換した植民地沖縄の農民の闘い。
いま一つは、人間性を失った戦争屋(©阿波根昌鴻)と、戦争屋の獣性にあくまで「人」として対峙する農民たちの闘い。
これは、恥知らずと、恥を知る者の闘いと言い換えてもよい。
畑でイモを育てるように、サトウキビを育てるように、農民たちは日々の闘いをとおして思想を育ててゆく。土の匂いのする思想。血の通った思想。そして礼節を失わぬ筋の通った言葉。
友を持つなら伊江島の人を友に持てと他村では言われました。
冠婚葬祭のときなど、豆腐を持ってくる人、豆腐をつくる大豆を持ってくる人、また天ぷらをつくる麦粉、豚油、カマボコをつくる材料の魚、めいめいが持ち寄って、御馳走は馴れた人がつくり、着物は上手な人が縫う。お返しはしません。都会の人がすぐお返しをするその気持がわからないとよく話し合います。人の親切を物で返したら、もらったことにならない。それでは商店とおなじではないか、といいます。…
伊江島のたたかい、真謝のたたかいは、あいさつしようねえ、沖縄の方言でいえば「あいさつさびら」から始まったのでした。
無抵抗の抵抗、祈り、おねがい、悲願、嘆願、わしらはひたすらこれで押して行きました。
米軍は強制収容した農地に鉄条網を張りめぐらし、「米軍用地 米国人以外の者の立入を禁ず 違反者は厳罰に処せらる」と立札。
農民は、「地主以外の立入禁止」の立札を立てる。米軍発行の通行証などを貰うのは筋が通らない、自分の土地だ、とんでもない、と応じる。
土地を盗まれ、家を壊され、ろくな補償もなく、食べ物もない、村民の中から餓死者も出た、しかし、通行証を貰うくらいなら乞食をする。 (これを書きながら、ガザを想起する)
1955年7月21日、「乞食行進」のはじまり。沖縄じゅうを行進した。
「乞食をするのは恥ずかしい。しかし、われわれの土地を取り上げ、われわれを乞食させる米軍はもっと恥ずかしい」――木で支えたボール紙にこのように書いて、真謝の農民は「乞食行進」を始めたのでありました。
◆行進する農民たちは歌う。
わが言葉で、わが想いを歌う「陳情口説(くどぅち)」
①さても世(ゆ)の中 あさましや いせに話さば 聞(ち)ちみしょり 沖縄(うちな)うしんか うんにゅきら
(はてさて世の中はあさましいことだ 腹の中から話しますから 聞いて下さい 沖縄のみなさん 聞いて下さい)
②世界(しけ)にとゆまるアメリカぬ 神ぬ人びと わが土地ゆ 取て軍用地うち使(ちか)てぃ
(世界にとどろきわたるアメリカの神のような人びとが わが土地を取って うち使ってしまった)
③畑(はる)ぬまんまる金網ゆ まるくみぐらち うぬすばに 鉄砲かたみてぃ 番さびん
(畑のまわりに金網を まるくめぐらして そのそばに 鉄砲か次いで番をしています)
④親(うや)ぬゆじりぬ畑山や いかに黄金(くがね)ぬ土地やしが うりん知らんさアメリカや
(親ゆずりの畑は黄金にもまさった土地ですが それを知らないアメリカは)
⑤真謝ぬ部落ぬ人びとや うりから政府ぬかたがたに う願(にげ)ぬだんだん話ちゃりば
(真謝の部落の人びとは それから政府の方がたにお願いし いろいろ話しもしました)
⑥たんでぃ主席ん 聞ちみしょり わした百姓がうめゆとてぃ う願さびしんむてぃぬふか
(主席さま聞いて下さい 私ら百姓があなたの前に出て お願いするのはただごとではありません)
⑦親の譲りぬ畑山や あとてぃ命や ちながりさ いすじわが旗取ぅいむるし
(親ゆずりの畑があってこそ 命がつながっているのです。すぐさま私たちの畑を取りかえして下さい)
⑧願ぬだんだんしちうしが 耳に入りらんわが主席 らちんあかんさ くぬしざま
(だんだんとお願いしましたが 耳にも入れないわが主席 らちもあかないこのしわざ)
⑨うりから部落ぬ人びとや 是非(じひ)とぅむ沖縄ぬうしんかに 頼(たゆ)てぃうやびん 聞ちたぼり
(それから部落の人びとは ぜひとも沖縄のみなさんに 頼っていますから聞いて下さい)
⑩那覇とぅ糸満 石川ぬ 町の隅(しみ)うてぃ 願さりば 私達(わした)う願ん聞ちみせん
(那覇や糸満、石川の町の隅々でお願いしましたならば 私たちのお願いを聞いて下さいました)
⑪ 涙ながらに聞ちみそてぃ 町ぬ戻(むど)ぅいぬ う情(なさき)や 誠真実(しんじち)ありがたや
(涙ながらに聞いて下さって 帰りに誠真実ありがたいことだと感じたことでした)
◆家を壊した米軍が与えた幕舎のなかで、お婆さんたちが歌った歌もある。
カバーぬ下(しちゃ) うとぅてぃ(居って) 波ぬ声(くぃ)どぅ 聞ちょる
あきよこの憐り ゆすぬ知ゆみ
(天幕の下にいて 波の声を聴いているこの口惜しさ 憐れさ よその人にわからない)
ちゅむとぅ(一本)から三ばき 実ぬる真謝原(まじゃばる)ぬ芋(んむ)や アメリカぬ鋤よ起こち
(一本から籠に三杯実る真謝原の芋を アメリカが鋤き起こしてしまった)
親元祖(うやぐゎんす)からぬ馴れ住みぬ真謝や あきよ火ぬ弾ぬ 焼ちゅら とぅみば
(先祖から馴れ住んだ真謝を [アメリカの]火の弾が焼くだろうと思えば ああくやしいことだ)
たとぅい火あぶりぬ憂き目ぬ見ゆるともん 恋(くい)し真謝原や互(たげ)に守ら
(たとい火あぶりの憂き目にあっても、恋しい真謝原は互いに守ろう)
口や花咲から 胸内(むにうち)や たくでぃ 悪魔アメリカや 情(なさき)知らん
(口は何とでも並べるけれど 胸の内は企んでいる 悪魔アメリカは 情けを知らない)
◆その時々の状況から編み出した実践を重ねた伊江島の真謝の農民たちは、実践を支える理論を獲得するために学び始める。
戦争屋は順調に勉強して、国民をだますことには専門です。そしてちょっと読み書きソロバンができ、口がきけるようになるとすぐ戦争屋に引きとられて、農民を食いものにしてしまう。それらに勝たねば、わたしたちの土地を守り、生きる道はないのです。
土地に根付いた生きるための闘いを闘い抜けば、世界の仕組みもしかと見えてくる。
そして、彼らの立ち位置は最初からずっと揺るがない。
闘いがはじまった1955年5月の彼らの声をここにに記しておこう。
米軍に告ぐ
一. 土地を返せ ここは私たちの国
私たちの村 私たちの土地だ
一.侵略者伊藤博文 東条の悲劇に学べ
汝らは愛する家族が米本国で待っている。
一.聖なる農民の忠告を聞け
さらば米国は永遠に栄え
汝らは幸福に生きのびん
〇剣をとるもの剣にて亡ぶ(聖書)
〇基地を持つ国は基地にて亡ぶ(歴史)