東北行  メモ02

せんだい311メモリアル交流館で、展示を見て、一階スペースに座っていたら、女川出身だという女性に話しかけられた。

「どこから来ましたか」

「奈良からです」

「わたし、女川出身なんです、女川ってわかりますか? 「原発のあるあの女川」

「ええ、わかります」

「私の家のあったところも津波にやられて、今では嵩上げ工事で地面の下になっているんです、瀬尾夏美さんが陸前高田を「二重のまち」と書いたように、私の町も二重のまちになったんです、でもね、私は、ただもう、私の住んでたところはもう埋められちゃったね、ここでは今では私はヨソモノだね、って、ただ寂しくなっただけだったんです、ちょうど2番目の姉がなくなって女川に遺骨を取りに行ったときに、そんなことを思ったんです、そしたら、その直後にここで瀬尾さんたちの展示が始まってね、ええ、『あわいゆくころ』はその前にもう読んでたんですよ、ああすごいなぁと思ったけど、そう思っただけだったんです、でもね、展示が始まって、瀬尾さんたちの『二重のまち』を読んで、ああ、瀬尾さんは外から陸前高田に来た人なのに、なんで自分の町を埋められた人の気持ちがあんなにわかるんだろう、私が言葉にできなかったことを瀬尾さんが言葉にしてくれて、なんでそんなことができるの、ほんとにそう思って、瀬尾さんにもそう言いましたもの、瀬尾さんが言葉にしてくれた私の気持ちに出会って、嵩上げされた地面の上でただ寂しがってた私がね、なんだか元気になったんです」

 

 

『ヴァルター・ベンヤミン』  メモ3  名づけるものとしての言語

 

創世記

すべては名づけの言葉からはじまる。

 

著者の柿木さんによって語られる、ベンヤミンの「純粋言語」、名づけとしての言葉

 

人間の言葉は突き詰めれば「名づける言葉」である。言葉を発するとは、名づけることなのだ。 

 

神が、創造した世界を「きわめて良し」としたように、人間も名づける際に、自分が出会う被造物の存在を肯定する。そのことのうちには、その存在を地上の世界の現実にする積極性、さらに言えば、創造性が含まれている。 

 

人間の言葉が本質的に「名づける」ものであるとすれば、発語そのものが、根源的には創造的な肯定なのである。 

 

 

※「名」が唯一無二の命/存在のそれぞれに与えられ、それを無名化/記号化されないことが、命の尊厳であるということに思いを馳せよ。

 

※語り得ぬそれぞれの生の経験を語りだすこと、それは語られるたびに、命を名づけ直し、世界を名づけ直す、はじまりの言葉となり、はじまりの歌となる。

 

※最大公約数の言葉、歌で、命を語り、歌ってはならない。(くそくらえ「絆」! くそくらえ「花は咲く」!  くそくらえ「復興」!)

『ヴァルター・ベンヤミン』  メモ2

24歳のベンヤミンの言葉。

 

夜に抗って闘う者は、その最も深い闇を揺り動かして、夜の光を引き出さなければならない。この命がけの大いなる努力においては、言葉は一つの段階にすぎない。しかも、言葉が最初の段階ではありえないところにのみ、言葉はありうるのだ。(1916年末のヘルベルト・ブルーメンタル宛書簡より) 

 

心に刻む。

岩波新書『ヴァルター・ベンヤミン』  メモ

まずはプロローグから。 
 
<死者の記憶を呼び出す言語><死者と共に生きる生者の言語><名づけとしての言語>を思いつつ、読みはじめる。 パリ、プラハで見たホロコーストの死者たちの碑に、記憶のかぎり刻みつづけられる「名」を想い起こしつつ。
 
 
(歴史の天使の眼差しは)人がひと続きの「歴史」を見ようとするところに不断の破局を見抜き、それが今も続いていることを見据えている。
 
「その破局は、瓦礫の上に瓦礫をひっきりなしに積み重ね、それを彼の足元に投げつけている」
 
「彼はきっと、なろうことならそこに留まり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう」。
 
 そうして支配者の「歴史」に名を残すことのなかった死者の一人ひとりを、また「歴史」の物語が忘却してきた出来事の一つひとつを、その名で呼び出し、過去の記憶を今ここに呼び覚まそうとする天使の身ぶりは、言語が「名」としての肯定性を取り戻すことにもとづく、新たな歴史認識の可能性を暗示するものと言えよう。
 
この認識が一つの像を結ぶとき、「歴史」が抑圧してきた記憶が甦る。今や歴史とは、時系列の攪乱とともに、死者とともに生きる回路が言葉のうちに開かれる出来事である。その出来事とともに言語も、名づける力を取り戻す。このようにベンヤミンは、言語と歴史をその可能性へ向けて問うことによって、戦争と暴力の影に覆われた状況の内部に、死者とともに生き残る余地を探っていた。
 
ベンヤミンの批評は、人を死に追いやる神話の呪縛を振りほどく認識として、つねに同時代の状況と向き合っていた。そのうえで「死後の生」を含めた生を、言語において深く肯定すること。これを彼の思考は目ざしていた。」
 
 

『熊野と神楽』メモ

日本各地にある「神楽」は修験(=山伏)がその生成に深く関わっている。

芸能者としての修験を考える原点としての熊野、そして湯立神楽

 

<二つの視点>

① 熊野信仰の中核にある「湯」の信仰、それに基づく湯立、そこから展開した湯立神楽がある。

②熊野の起源と由来を説く縁起が各地に伝播、その中から神楽が生成。

 

 ※ 熊野信仰の伝播と展開には山岳信仰修験道の役割は極めて大きい。

 

◆ 小栗判官と湯の峯

紀伊の国熊野本宮の湯の峯へ登り、冥途黄泉より沸き出る薬湯の威徳にて、何なく本復仕り、有り難くも、熊野権現の御告げに任せ、かく行者姿となって遥々尋ね参って候

(説経祭文 小栗判官・照手の姫)

 

 

※湯の峯は、湯の峯脇の東光寺の薬師如来の「湯の胸」から噴き出すことに因んだ「ユノミネ」に由来するという。

 

※熊野(くまの)は熊野(ゆや/湯屋/斎屋)でもある。

 

◆ 熊野本宮例大祭 湯登神事 (4月13日~15日)

(13日)、

湯登は精進潔斎して山に登り、稚児は十二所権現のお使いとして拝所ごとに八撥の舞を奉納して神降ろしをする。湯は潔斎だけでなく、斎にも通じ、神降ろしも意味する。

 

(15日、大斎原/おおゆのはら にて)、

「御田祭」となり、大和舞・八撥の舞が奉納され、修験による柴燈護摩が執行される。

本文12pより)

 

※ 『熊野権現垂迹縁起』には、「大斎原」は「大湯原」とある。

   大斎原は、熊野権現出現の霊地。

 

道者は音無川を渡り、「濡藁沓の入堂」で潔斎して本宮に参詣した。潮垢離・水垢離を続け清浄さを得た道者は、湯立や神楽を奉納して顕現する神霊と直接交流し、託宣や夢告を受けた。熊野権現は死後の浄土往生を確証させるとともに、病気治しや健康祈願など現世利益を成就する現世と来世の二世の祈願に応えるとされた。

 

熊野信仰の中核に「湯」や「斎」の観念があり、清めや潔斎だけでなく、寄る・つく・いつく・など多義性を持つ。熊野ではユの持つ意味は大きかった。

 

日本各地の湯立湯立神楽は、熊野信仰の伝播に伴い、熊野の湯の多義性の思想を受容し、地域で独自の解釈を施し、修験と民衆の出会いの場を作り出していったと推定される。(本文13p)

 

 

◆各地の湯立と熊野

 

島根県邑智郡 大元神楽 

熊野なる 谷の清水を 御湯にたて 我立ち寄らば 氷とぞなる。[……]おもしろや 水は湯となる 熊野なる この湯の花を 神に手向くる  

(神楽冒頭に行われる「清湯立」で歌われる神歌)

 

 

高知県香美郡物部村  いざなぎ流

 (この地域は、鎌倉時代には熊野の荘園)

 

湯立において、当日の目的を太夫が述べる

熊野の新宮本宮の湯釜の上に祈り入り影向なされて、当年よとし又来るよとしとりて  

 

湯伏せ・火伏せにおける太夫による熊野権現勧請の言葉 

このや御湯の伏せ鎮めの前立て後立てには熊野の権現様を行い請じ参らする

 

湯神楽における太夫の唱文

大小神祇様をは、熊野新宮本宮の御湯の上へは送り迎えて伺い頼んで御座れば、湯釜の上より、役者の持ちたる三尺の玉の御幣、うづが折目をこれのりくらで、湯ボテ火ボテこれのりくらへ[……]

 

  ※湯ボテは湯をかきまわす棒、火ボテは火を整える棒

   湯ボテを釜の湯に浸し、神々、舞台、供物、氏子を浄める

 

これより下には地神荒神大土公荒神、湯釜の上を三処はいちめに清める者は、……

 

つまり、

「熊野の新宮本宮の御湯の上へ神々を送り迎え、湯ボテ火ボテにのり移らせて釜の湯を浸し、すべてを清めて後、下方の地神・荒神・大土公荒神を鎮める。湯立の湯は、熊野の湯と観念され、繰り返し湯を奉納すると神々の地位は上昇する。これをクラへと呼ぶ。荒ぶる土地の神霊である荒神・土公・地神・火神などは熊野の湯で制御可能となる。儀礼には修験系の行者や太夫、民間陰陽師の関与が推定される。」(本文16p)

 

 

◆奥三河 大神楽、その名残の「花祭」  

 

「修験や先達が伝えた熊野信仰は、奥三河で定着して土地の人々の願いに適用するかたちで新たな儀礼を創造した。花祭や大神楽で中心的な役割を演じる湯立も生と死の双方に関わり、湯は人々を再生させ浄化させるとともに、死者供養も意図した。現在でも、静岡県水窪や草木など天竜川の東方の山地に伝わる霜月神楽では、湯立は死者供養や死霊の鎮めを目的とする。そこには、仏法の力を身体に取り込んだ修験など仏教と民俗をつなぐ宗教的職能者が関与した。

 

熊野の湯立や神楽は、奥三河において近世初頭に「大神楽」として独自の発展を遂げたが、時代を下るに従い飢饉や疫病など村々の危機に行われる「共同体の再生」の儀礼に読み替えられ、その後は各地に展開して花祭りとして存続した」

 

 

※ 天竜中流域に大規模な湯立神楽が集中する理由は、熊野・伊勢・諏訪を結ぶ修行者と商人の道による交流が挙げられる。

 

※ 行者道は本宮山、春埜山、龍頭山、常光寺山の山住神社へと続いていた。

 

※  熊野と諏訪を往来する修験者が神楽をもたらし、在地の信仰と融合して共同体祭祀として定着したと推定される

 

 

◆その他、熊野との関連をいくつか

★ 秋田 保呂羽山波宇志別神社(横手市大森町) 霜月神楽

𠮷野金峯山 蔵王権現勧請

この地域では、かつては死者供養の湯立が行われ、「御霊舞」「後生神楽」と呼んだ。

 

★ 陸中 宮古市の神子舞と湯立託宣

熊野と深い関係のある黒森山(宮古市)の修験が関与

 

★ 信州遠山郷飯田市) 霜月祭

上町 湯立神楽は、熊野本宮の仙人が伝えたという伝承

和田 熊野の芸能者の来訪の伝承。神への奉納と仏の供養。

 

湯立に関する教義や儀礼は伊勢で整えられたとしても、実践としては熊野修験や御師などを通じて各地に伝わり、死者供養や逆修にも展開した。

 ※  逆修  仏教用語。生前にあらかじめ自分の死後の冥福を祈るための仏事をすること。

 

 

◆切目王子と見目王子

 

これは修験の霊ともいわれる。熊野の王子信仰を読み替えて守護霊に転化したもの。

悪霊を「切る」。不可視のものを「見る」能力を持つ神霊。

花祭の最高神

 

これらを守護霊として背負うことで、悪霊に打ち勝ち、霊界・他界を見とおす「目」を持つことになる。→修験の霊能。

 

切目王子は、熊野九十九王子のひとつ。

 

◆修験の聖数 七十五 

 

「民間習俗では七十五日は重い精進潔斎の日数、産婦の七十五日の忌籠り、人の噂も七十五日までなど、完結した時間の単位である。峯入りの七十五日も同様である。一方、山中での七十五の数字は山に充満する霊の全体、一定の領域にいる諸霊のことであろう。山の霊は仏教に帰依して護法となりなり、神霊の眷属とされ、大峯山は「満山護法」で、要所は八大金剛童子となった。修験によって馴化された荒れすさぶ自然の力の形象化である」

 

大願成就したならば、七十五段の石段も、南蛮鉄にたたみます

瞽女唄「信徳丸」より)

 

と、本書では紹介しているが、長岡瞽女小林ハルの「信徳丸」では、五十五段となっている。

    

「修験は、自然の荒ぶる力を統御し、神霊の世界を論理と実践で構築し、その思想と実践は修験道の揺籃の地の熊野や𠮷野から各地に伝播し創造的に展開した」

 

 

◆ 牛玉(熊野の御符)=護法=金剛童子 であるということ

 

 

 

 

 

鄭靖和『長江日記』翻訳進行中 ~一女性による韓国上海臨時政府秘話~

韓国も大文字の歴史の例にもれず、良くも悪くも歴史は男のものであり続けた。

日本の植民地支配に抗して、1919年に上海に設立された大韓民国臨時政府は男性の独立運動家たちの手によるものであり、男性独立運動家によって動かされ、闘われてきた、ということになっているが、

独立運動家たちには家族がいるのであり、妻があるのであり、子がある。

独身の独立運動家たちにもまた、身の回りの世話をしてくれる女性が必要だった。

 

なかでも、際立って男たちの独立運動に関わったのが、著者の鄭靖和ということになる。

彼女は財政難に喘ぐ臨時政府の資金を調達するために、何度となく危険もかえりみずに朝鮮国内に潜入し、資金を集めてきた。

金九、李東寧といった主要人物たちの身の回りの世話をしたのも鄭靖和だった。

臨時政府の上海から重慶までの逃避行は、単に政府が移転したということではなく、

臨時政府に関わる全ての中国への亡命者とその家族の、苛酷な中国大陸放浪の旅だった。

 

この回顧録の最初のほうで、鄭靖和はこう語る。

しかし、台所に立つ女の立場は少し違っていた。何よりも先に火をおこし、湯を沸かし、どうにか食卓にあげる食料がなければならなかった。

 

名前、名誉、自尊、矜持よりは、まず急を要するのが生活だった。(中略) 頭を下げて手足を差し出すめでして、ぼろ一着がさらに切実に必要だったのである。(P56)

 

鄭靖和による回顧録は、男たちの独立運動を暮らしの面から支えてきた、いわば生活の場からの独立運動史でもあり、旅の記録でもある。

 

あの時代に中国大陸を行き交った者たち、

同じく中国を拠点に独立運動を展開したベトナム解放同盟(ベトミン)の消息もあれば、

独立闘争のために朝鮮義勇軍や、共産軍、中国軍に身を投じた若者たちのこと、朝鮮人従軍慰安婦のこと、日本軍に徴兵されて中国戦線に投じられた後に脱走した朝鮮人学徒兵たちのこと、朝鮮人学徒兵を苛め抜いた日本軍下士官のこと、敗戦後に中国軍の捕虜となった日本兵のこと……、

彼女の目に映った人びとのこともまた綴られている。

 

たとえば、解放後、20数年ぶりに朝鮮に帰国するために、重慶から上海へと向かう旅の道で出会った日本兵についてのこんな記述もある。

(彼は捕虜となっ道路整備の労働に就かされていた、この日本兵は旅の一行の中に自分が苛め抜いた朝鮮人学徒兵を見つけ、いきなり土下座した)

彼らはすでに皇軍ではなかった。彼らは人間に戻っていた。仕事をする本来の人間の姿へ。彼らはたとえ監視下で労働していても、正体もない帝国主義の理念や思想に背を押されて戦場に行き、殺戮を繰り広げている姿よりは、いっそう人間らしく見えた。

 

満月の夜の狼のように ~水俣異聞~ @西荻窪・忘日舎

f:id:omma:20191028004639p:plain



今夜も雨が降っています、

もう百年も降りつづいています

この闇のなか 私は溢れる水に舟を浮かべますこれは私のいのちの舟です 一面の黒い水です 

私はひそかな声をあげる それが出発の合図  

 

「さあみんな、舟を出して、早く自分の舟を出して」

 

いまここが雨ならば、あなたのいるそこも雨のはず

すべての水はつながっているものだから

この世のどこかで降りやまぬ雨が降っているならば

世界じゅうが見えない雨のなかに沈んでいるはず

いまきっとあなたも 雨の底に沈んで 芯まで濡れて 流されていくところでしょう?

でも みんながいっしょに流されているから 

だいじょうぶ 世界は平和 だいじょうぶ みんな同じくらい幸せ

そうしてすっかり安心して 生きながらだんだん死んでいくところなのでしょう? 

そうしてとうとうとりかえしのつかない命になってしまうまえに

ひそかな声をあげるんです それが合図

 

「ねえみんな 舟を出して 早くあなたの舟を早く出して」

 

                                ◆

 

船出するわたしたちには百年前からの言い伝え。

 

「舟を漕ぐときには 水の音をよく聞け」 

 

それは 百年前 雨が降り出したときに 最初に舟を出した者たちの言葉なのです

黒い穴から果てしなく湧き出る黒い水が渦巻いて 渡るに渡れぬワタラセ川から舟を出した舟びとたちが ひそかな声で告げるのです

 

 水はぐるりぐるりとこの世をめぐって命をつなぐものなのだ

 道は水のようにくねくねと曲がりくねっているものなのだ

 まっすぐなものには魂は宿らない

 魂のない水は命の流れを断ち切る刃

 けっして まっすぐな音についていってはならない

 

         ◆

 

f:id:omma:20191028003824p:plain

 

舟には一輪の花 それが目印です

舟の行方は花が知っています

寄せくる波に揺られて舟が集まる入り江の海を 一輪の花たちはシラヌイの海と呼びます

シラヌイの海では 常世の舟の孤独な舟びとが 真っ白な帆をあげて 言伝をたずさえて花たちを待っています

 

シラヌイの言伝

 

 おまえこそがこの世をめぐる水なのだ

 地のもっとも低きところを這う虫のように 黙々と流れる水なのだ

 すべての死せるもの、すべての生きとし生けるものをつないで流れる水なのだ

 おまえこそが 鳥も獣も虫も魚も草も木も これまでのすべての命、これからの

 すべての命を滔々と結んで流れる水なのだ

 山から海へ 海から空へ 空から山へ 果てなくこの世をめぐる水なのだ

 生きてゆくおまえは おまえの内なる水の声を聴け

 

水は山に行けとあなたに囁きかけることでしょう 

舟は山をのぼってゆくことでしょう

山の奥深く この世のはじまりの泉の湧くところへと 

舟たちが漕ぎあがってゆく

ろう ろう ろう 

艪を漕ぐ声は 故郷をめざすケモノたちの遠吠えの声のように 山に谺することでしょう

 

        ◆

 

f:id:omma:20191028004732p:plain

 

山にひそかな舟たちが集う夜

あるいは ついに山に還ってきた無数の水たちが語り明かす夜

そんなとき きっとかならず ひとりの水が 胸をこぶしで力強く叩きながら 

歌うように くりかえし こんな言葉を唱えるのです

 

「鍛えているから痛くない」

 

何が? どんなふうに?

 

川をまっすぐにするからと 尖ったところはみでたところをざくざく削り取られても

鍛えているから痛くない  

(そうだね そんなこともあったよね)

 

山に生きる命もろとも吹き飛ばされても 海に生きる命もろとも生き埋めにされても

鍛えているから痛くない  

(そうだね 何度もそんな目にもあってきた)

 

真っ黒な毒を放り込まれても 透明な毒を溶かし込まれても 濁っても 澱んでも 

鍛えているから痛くない   

(そうだね それでもわたしたちは耐えてきた)

 

役立たずと蹴られても 足手まといと踏まれても この世の外に投げ捨てられても

鍛えているから痛くない  

(うん そうだ それでもわたしたちは生きてきた)

 

何をされても大丈夫 

鍛えているから痛くない 

体も心も痛まない

口を塞がれても 記憶を盗まれても 名前を消されても 命を取られても 

鍛えているから痛くない

百年雨が降りつづいても 世界が真っ黒な水の底に沈んでも

鍛えているから痛くない 

(そうしてわたしたちは生きてきた)

鍛えているから痛くない

(そうしてわたしたちは殺されてきた)

 

鍛えているから痛くない

 

 

これは 呪文 

百年の呪いなんです

黒い雨の百年を みんなで最高に幸せに生きるための 最強のおまじないなんです

水たちがざわざわと波立ちます 

わたしたちは試されているのだと

わたしたちはこの呪いをふりほどくために 孤独な舟となって 一輪の花となって 

ざわめく無数の命となって はじまりの泉の湧くこの山に還ってきたのだと

  

しかし どうやって ふりほどく?

  

 

最初にひとりの水が声をあげるのです

歌おう!

 

 しゅうりりえんえん しゅうりりえんえん よか水じゃ

 

ああ これは 久しく歌われることのなかった シラヌイのしゅり神山の狐の歌

 

二人目の水が声をあげます

踊ろう!

 

 しゅうりりえんえん  しゅうりりえんえん  よか水じゃ

 

ほら なつかしい死者たちがやってくる あたらしい命たちが生まれくる 

つながって 輪になって 滔々と流れる水になる

 

三人目の水が声をあげます

祈ろう!

 

 しゅうりりえんえん しゅうりりえんえん よか水じゃ

 

水たちは一輪の花となって 天を仰ぐのです

花を黒く染める 百年の雨の時代はもう終わる  

われらはこれからはじまる世界をめぐる祈りの水になる

 

 ◆

  

山にひそかな水たちが集う夜

山の深みの泉のまわりを 水たちが ろう ろう ろう

水たちのひそかな祭りは だんだんケモノのにおいを孕んでできます

 

野に生きるケモノどもは むやみにまっすぐに走ったり鍛えたり服従したりしないから 

口を塞がれれば こもった声でワウワウ吠えて 

記憶を盗まれれば こっそり取り返しにゆき

名前を消されれば もっと深くくっきりと名前を刻んで

命を取られそうになれば そのときには逃げる 全力で逃げる 

 

 しゅうりりえんえん しゅうりりえんえん よか水じゃ

 

水たちは 月に吠えるケモノになるのです 

青い月の光に染まって これからはじまる世界のためにぐるぐる歌い踊るのです

 

 しゅうりりえんえん しゅうりりえんえん よか水じゃ

 

 

f:id:omma:20191028003428p:plain


時が満ちたなら ぐるぐるめぐる水たちは ふたたび舟を出すのです 

一艘 また一艘と それぞれのまがりくねった川をくだってゆくのです

 

さあ みんな 大きな流れにのまれるな

まっすぐな川に 捕まりそうになったなら

逃げろ逃げろ  満月の夜の狼のように 青い水の荒野をかけてゆけ

 

 しゅうりりえんえん しゅうりりえんえん よか水じゃ

 

満月の夜の狼のように

f:id:omma:20191028003646p:plain