獣になる

「獣」である自分自身をめぐる思考をまとめるためのメモ。

柳致環「頌歌」より

追はれたるカインの如く
彼等が負へる悲しみは久しかりせど
如何ぞ この艱難を
獣となりても堪えざらむ

※「獣」は「けだもの」と読む。

「わたしの歴史の解釈とかれらの解釈が一致しない」 by 琴仙姫

獣は、生き抜くために、物語を紡ぎ出す。
物語は、破片のような、いまだ記憶とも言えぬような感情の断片、現れたり、消えたりする、イメージ、ここに大切ななにかがある、ここに激しく痛むなにかがある、ということをひそかに教えるとぎれとぎれの声、痕跡、空白、そんなものをつないで、織りあげるうちに、次第に確かな言葉をもちはじめる。
しかし、どうやって?

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◆ボーダーラインアート (by ホミ・バーバ)
(ボーダーライン・アーティストによる作品は)過去を単なる社会運動や美術的な対象として回想するようなものではなく、過去を、いまとのかかわりにおいて、新しくし、現在のいとなみをいったん宙吊りにして描きなおすような接点としての「中間(in-between space)に作り変える。「現在とつながる過去」はいまを生きるためのものであり、ノスタルジーではない。

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◆ポストメモリー (by マリアンヌ・ハーシュ)
ポストメモリーは世代間の距離をこえるという意味で、ただの記憶とは違い、深い個人的なつながりに根ざしているという意味で歴史とも違う。ポストメモリーは力強い、非常に独特な記憶の形態である。なぜなら、記憶とその対象となるような出来事は、思い出すことを通じてつなげられるのではなく、想像力を働かせることとクリエイティブな行いを通してむすびつけられるからである。

ポストメモリーは、すでに生まれるまえからあったナラティヴに取り囲まれて育ったひとたちの経験にはっきりとした名前を与え、理解することも完全に作りかえることもできないようなトラウマに満ちた事件を通して形成された先行世代の物語から、かれら自身の物語を掘り起こすことを可能にする。

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<問い>

「不在と欠落を示すのと同時に、現在を形作り、再構築し、再びつなげ、生き返らせる」ものとしてのポストメモリーの芸術表現がある。
そして、掴み取るべきは、再構築し、再びつなげ、生き返らせる、脈絡か?

 びっしりと書き込まれて、人間を囲い込む記憶の物語に、空白のくさびを打ち込んで、揺さぶるのが、ボーダーラインの、もしくは、ポストメモリーの表現か? 

◆アーティスト/映像作家 琴仙姫の場合。
「歴史に無効された空間の中で、存在を消されようとする勢力のなかで、その人々の声を聞きながら育ってきた」人間が、「正しくないものとして否定され、沈黙を強いられた、いわば「食い違った記憶の破片」にひとつひとつ光を当てる営為として、「この社会のどの公式の文書にも書かれていない物語」を語り始める。 (by 池内靖子)



全身深負いの獣としての表現者がいる。
獣がその物語を語る声は、
共有の記憶によって形作られた公的な空間に、亀裂を入れる。
声を奪われ消されていった人々(これもまた、人間として扱われないという意味において「獣」)の「剥き出しの生」を浮かび上がらせる。
獣達の声は、それを聴く者に、自分もまた傷つきやすい獣であることに思いをいたらせる。
想像するとは、根拠のない妄想とは違う。生きるために知らねばならぬこと、気づかねばならぬこと、観て聞いて感じねばならぬことに、想いを馳せる力のこと。

獣達よ、逆襲せよと、境界線上の表現者はひそかな声で囁き続ける。