1910〜1918 「土地調査事業」(これは台湾でも)
1920 「産米増殖計画」(もちろんこれも台湾でも)。
P69
一九一〇年の「併合」の「土地調査事業」以降、土地を追い出された小農民層は満州・シベリア・日本へと流れていたが、一九二〇年のコメの強制作付けはそれに一層の拍車をかけたのである。
<朝鮮人の日本流入・居住人口>
1909 790人
1911 2527人
1917 14501人
1918 22262人
1920 30175人
1923 80617人
1926 148503人