折口信夫『死者の書』 メモ

彷徨いでた魂と目覚めた魂とが、魂呼ばひでいよいよ結ばれてしまう

<のちのちの伏線/山尋ね  『死者の書』二>

二上山の男嶽と女嶽の間から急に下ってくる「当麻路」。

その路を一降りして、大降りにかかろうとする手前の中だるみ、塚の前に、神でもあり、旅人でもある九人の白装束の修道者たち。

彼らは二神山へと彷徨いこんだ藤原南家郎女(中将姫)の魂を呼ばう。

そして、最後に、 いまひとたび、塚の前で魂ごひをする九人の修道者は、塚のうちから応える声を聴く。

「をゝ……」

 

姫様、当麻に御安著なされた其夜、奈良の御館へ計はずに、私にした当麻真人の家人たちの山尋ねが、わるい結果を呼んだのだ。当麻語部とか謂つた蠱物使ひ(まじものつかい)のやうな婆が、出しやばつての差配が、こんな事を惹き起、こしたのだ。

 その節、山の峠の塚で起った不思議は、噂になつて、この貴人(うまびと)一家の者にも、知れ渡つて居た。あらぬ者の魂を呼び出して、郎女様におつけ申しあげたに違ひない。(『死者の書』十五)

 

たったひと目の執心がこの世とあの世の道が開かれる

 <当麻語部の姥の語り  大津皇の執心>

其お方がお死にに際に、深く深く思ひこまれた一人のお人がおざりまする。耳面刀自と申す、大織冠のお娘御でおざります。前から深くお思ひになつて居た、と云ふでもおざりません。唯、此郎女も、大津の宮離れの時に、都へ呼び返されて、寂しい暮しを続けて居られました。等しく大津の宮に愛着をお持ち遊ばした右の御方が、愈々、磐余の池の草の上で、お命召されると言ふことを聞いて、一目見てなごり惜しみがしたくて、こらへられなくなりました。藤原から池上まで、おひろひでお出になりました。小高い柴の一むらある中から、ご様子窺うて帰らうとなさました。其時ちらりと、かのお人の、最期に近いお目に止まりました。其ひと目が、此世に残る執心となったのでおざりまする。(『死者の書』四)

 

 

 

舞台設定は奈良時代だというのに、物語りはもう廃れつつあると、作者は書く。

死者の書』を書いた当時の現実の投影であろうか。

 

もう、世の人の心は賢しくなり過ぎて居た。独り語りの物語りなどに、信をうちこんで聴く者のある筈はなかつた。聞く人のない森の中などで、よく、つぶつぶと物言ふ者がある、と思うて近づくと、其が、語部の家の者だつたなど言ふ話が、どの村でも、笑ひ咄のやうに言はれるやうな世の中になつて居た。(『死者の書』二十)