自然の力を、自然のままに置くことなく、
火を盗んでくるように、
神聖不可侵の自然の奥底の力を盗み取り、
社会の中に持ち帰る者が、
自然の力を「権力」として創りかえて「王」となる。
神聖不可侵の(もしくは、死の世界である)山中に入り込むことで、
力を身にまとう行者/修験者もまた、「王」と同様に、
自然から根源的な力を盗み取るものであるが、
それを俗世に持ち帰らない、山中にとどまりつづける、
という点で、修験者は「王」とは対極の位置に立つ。
しかし、自然から「権力」をつかみとるという点では、王も修験者も本質的には変わらぬのである。
と、中沢新一は言っているようである。