2024年の最初の一冊は、
コンラッド『闇の奥』(黒原敏行訳 光文社文庫)。読みなおし。
コッポラの『地獄の黙示録』のイメージが強すぎて、それを振り払いながら、
若き頃にコンゴ川をさかのぼっていった老船乗りマーロウが、闇の中で見て聞いて経験したことを
テムズ河の船上で語るのを聴く。(この小説は、読むと言うより、聴くがふさわしい)
テムズ河に浮かぶ船上で、マーロウは、こんな語りから、長い長い闇の奥の物語りを始める。
われわれを救ってくれるのは効率――効率を追求する懸命の努力だ。ローマ人は大した連中じゃなかった。とても植民地経営者とは言えなかった。ただ搾り取るだけ。それに尽きたんじゃないかと思う。彼らは征服者であって、征服するには腕力があれば足りた。腕力なんて別に自慢するほどのものじゃない。たまたま相手が弱いからこっちが勝つだけのことだ。とにかく手に入れたいものを分捕る。要するに強盗、要するに残虐な大殺戮。彼らはそれを闇雲にやった――闇と渡り合うのにはふさわしいやり方さ。征服というのはほとんどの場合、われわれとは膚の色が違い、鼻がちょっとだけ低い連中から土地を巻きあげることで、見て気持ちのいいものじゃない。その醜悪さを償えるものは、理念だけだ。背後にある理念。きれい事の建前じゃない、一つの理念。そしてその理念に対する無私の信念。その前にひざまずき、頭を垂れ、供物を捧げられるような何か……。
この物語をマーロウはあぐらをかき、片腕あげて肘を曲げ、掲げた手のひらをこちらに向けている仏陀のような姿で語りはじめる。
それは、マーロウいわく
「文明の進歩があとに残した芥(ゴミ)の一つ」
なのだけど、アフリカの闇の奥で、人間の心の闇の最奥の地獄へと堕ちていったクルツ(『地獄の黙示録』でマーロン・ブランドが演じたアレ)をマーロウは語らずにいられない。
死の間際に
「the horror! the horror! (おそろしい、おそろしい)」と叫んだクルツのその声を、テムズ河(大英帝国)に響きわたらせずにはいられない。
語り終えたマーロウが見るテムズの風景
沖合には黒い雲の土手が横たわり、地の果てまで続く穏やかな水路が曇り空の下を暗鬱に流れ――大いなる闇の奥まで通じているように見えた。
テムズの流れは滔々と海に注ぎ込み、世界中の植民地主義という暴力を広げ、その産物の一つであるイスラエル、シオニズムと合体したイスラエルが、いま「闇の奥」の凄まじい暴力を、全世界に向けて開いて見せている。
この世界そのものが、今では闇の奥。