101回目の9月1日を前にして。

 
 
写真は、『現代史資料 関東大震災朝鮮人』(みすず書房)より抜き出したもの。
 
これは、「鮮人を殺傷したる事案」として加害者が起訴された際、被害者として記録された朝鮮人の名前。それも、ほんの23名。
公的記録(1923年11月15日時点)に記録されている朝鮮人被害者は275名。その多くは「氏名不詳」とされている。
 起訴もされず、殺されたことを知る者もなく、闇に葬られた命は、その名前は、いったいどれだけあるのだろう。
 
 
「鮮人」と誤認されて殺傷された内地人の名前の記録もある。
「いずれもその容姿、態度又は言語の情況等に因り鮮人なりと誤解を受け自警団員その他の民衆の為に害を加えられたるもの」とある。その数89名。
 
 
支那人殺傷したる事由」もある。被害者8名。
ただし、僑日共済会長 王希天の殺害、ならびに東京府北葛飾郡大島で百十数名の中国人が殺されたことは、調査の結果明らかならずと否定されている。
公的記録に残された名前は、どれも、あのときに日本の路上で起こったことの、断片でしかない。
大切なのは、この断片を拾い集めて、多くの理不尽な死の記憶が封じ込められている闇を照らしだすこと。