『沖縄と朝鮮のはざまで』 メモ    牛馬としての朝鮮人「軍夫」

動物化というキイワード。

 

証言1 

古堅には朝鮮人の軍夫もたくさんいたが、日本軍に牛馬の扱いをされていてとてもかわしおうだった。あるとき、私の家の前で、一人の朝鮮人軍夫が、日本兵に激しく叩かれて「アイゴー、アイゴー」して泣いていた。

 

 

証言2

沖縄本島の)渡久地には数十人の朝鮮人軍夫が来ていて、(…)ごく些細なことでもなんくせをつけられて殴り倒されていた。牛馬に等しい扱いをうけて男泣きに泣きじゃくっていた光景は、いまも忘れることができない。(…)一、二分でも作業に遅れると、それこそ半殺しの目に会うのであった。

 

 

重労働、飢え、日本兵による暴力などにより、名も知らぬ島に連れてこられた朝鮮人「軍夫」は、地上戦が始まる前から死の危機にさらされていた。その危機は「軍夫」が置かれた立場によるものであった。

つまり、朝鮮人「軍夫」は軍隊秩序の下位に置かれると同時に、「牛馬の扱い」とあったように人間と動物のはざまに置かれた

 

 

「軍夫」たちは「牛馬」として動物化されたからこそ、沖縄戦が激化して以降も奴隷的労働を強いられ、米軍と日本軍の両方から死にさらされることになったのである。朝鮮人「軍夫」たちが甚大な被害を被った大きな理由は、彼らを下位に位置づけ、かつ動物化するその構造にあった。