2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧

 うば竹の祟り

高田瞽女の「山椒太夫 舟別れの段」の最後は、直江の津で安寿・厨子王・母御前・うば竹をかどわかして、丹後由良(安寿・厨子王)と佐渡(母御前・うば竹)へと売りとばした山岡太夫への復讐譚となる。入水したうば竹が大蛇となって、海上を舟で逃げる山岡を…

 直江津の加藤亭

昭和56年発行の『古老が語る直江津の昔』(北越出版)の中のエピソード。その昔、直江津の寄席と言えば、加藤亭。 たった一つのこの寄席では「うかれ節」をやっていて、みんな聞きに行ったものだ、とひとりが言えば、もうひとりが、いやいや、うかれ節だけ…

 妙国寺とは、説経「さんせう太夫」の原曲とされる能「婆相天」ゆかりの寺という……。

寺の由緒書きによれば、寛永元年(1624)に建立。 祀られているのは、「感応稲荷」「胞姫尊天(子授安産)」「山岡神霊位(事業繁栄・除病延寿)」。この「山岡神霊位」として妙国事に祀られているのが、「婆相天」に登場する直江津の問の左衛門ではない…

これは文楽・時代物・三段。説経「さんせう太夫」の流れを汲む。

<作者> 竹田小出雲、二歩軒、近松半二、北窓後一、竹本三郎兵衛、三好松洛の合作。 先行作「三荘太夫五人嬢」の改作。<初演> 1761年(宝暦11) 竹本座 - 奥州54郡領主・岩木判官政氏は、岩木の領地を狙う一族の悪者(丹波の城主 大江の郡領時廉…

本日も資料読み まずは乳母嶽大明神

室町時代の末に起こった説経節は。近世初期に操人形と結びついて説経浄瑠璃になる。 が、義太夫浄瑠璃に圧倒されて、享保末には衰退したという。それでも、「山椒太夫」をはじめとする5説経は、その後も山伏が錫杖やほら貝を伴奏にして祭文にして語った。そ…

はたた神

さて、説経祭文「三荘太夫」では、海に飛び込んだうは竹は「はたた神」になって、直江津一帯に嵐を呼んだわけである。 「はたた神」。これは霹靂神とも書いて、激しい雷、いかづちの謂い。 はたた神は、同じく薩摩若太夫の説経祭文「小栗判官・照手の姫」の…

その昔、人買いって、どれだけ跳梁跋扈していたんだろう?

『自然居士』『桜川』『隅田川』。これは身売り・人買いを扱う能の演目。 西行が語り手であるかのような体裁で編まれた鎌倉前期の仏教説話集『撰集抄』には、越後の寺泊らしい海辺の市で人身売買が行われている様子が書かれている。(漂泊の旅人西行がそれを…

説経節と瞽女唄

かつて、新潟は新発田の瞽女内田シンは、こう言った。 「はやりぶしは、おらもっていがねば誰ももっていがね。そって、おらがはやらがしたものだ」。その瞽女唄への説経節の影響については種々の論考があり、一橋論叢一九九九年三月号では、秋谷治氏が『説経…