新潟県北蒲原郡聖籠町 聖籠山宝積院 百合若伝説

面白いなぁ、
幸若舞や古説経の「百合若大臣」の物語が、新潟の聖篭にも。
10月24日に聖篭町を訪れて、百合若大臣の愛鷹緑丸の立派な供養塔を見た。


幸若舞でも、古説経でも、百合若は蒙古との戦に豊後(=大分)から出陣して、九州の玄界島に置き去りにされるところから物語は大きく動きはじめるのだが、ここ聖篭の百合若伝説では、百合若は蝦夷との戦いの英雄であり、それ以前に朝鮮の白村江の戦いで戦功を挙げたことになっている。


坂上田村麻呂と百合若がここでは二重写しになっている。
聖籠に語り伝えられる百合若の名の由来もまた、その作り込みがまことに巧みで、興味深いことこのうえない。

北方鎮護の寺社がやたらと東北一帯に創られた大同年間に、宝積院の観音堂は建てられたと伝えられている。

宝積院発行のパンフレットに曰く、
天智天皇の御宇 二年(六六九)、百済の国に敵が攻め込んだことから、百済の国は日本に助けを求めました。そこで、豊後の国の太宰の和田丸という武勇に勝れた壮士が百済を救いに行き、百合余の戦に負けることが無く、異国人が百合弱(ぺがじゃく)といったことから百合若大臣と呼ばれるようになりました」

「百合若」も「百合弱」も、韓国語では確かに同じ発音。
誰がこんな名の由来を考えたのだろうか。