江戸時代の山伏

「要するに、江戸時代の山伏にもピンからキリまであったのであって、なお中世的な果敢な山岳修行にいそしもうとする、修行本位に生きる山伏もいたとともに、祭文語りからごろつきに転化したようなものまで、種々のタイプがあったのである。全体的にいえば、町や村のなかに院坊をもって、その近在の民家を檀家とし、招かれて祈祷に出かける、あるいは遠方への山参りなどの代参をしたり、代願人になる、そうしたタイプのものが、江戸時代には最も支配的だったのである」


●近世の山伏は、大きく分けて、本山派(天台系。三井寺末 聖護院管理)と、当山派(真言系 醍醐寺三宝院)に所属。その他、羽黒等の地方修験。


●修行者としてより、「祈祷師としての行者」の趣。陰陽師的性格も併せ持つ
 陰陽道による招魂祭、鬼気(もののけ)祭、竈祭、夏越祭、厄神祭、火伏祭などを行う。


●明治5年9月15日付 太政官布達 修験宗廃止。全国18万人の山伏の還俗。