そもそも山伏とは……

神霊や死霊の籠もる山を背景にしたシャーマン。それがはじまりの姿だろうと。(古代よりの山岳信仰のもとに)

後世、山伏の始祖と伝えられる役行者について。
「『続日本紀』に語られている限りの役小角の性格は、まず山を背景にして、山の神を操ることができた霊媒者としてのシャアマンであるといえるのではなかろうか」
 ※シャアマンとしての、優婆塞、優婆夷。

●シャアマンは、山で修行して験力を修める「験者」もしくは「修験者」へ。
 密教的な加持祈祷。真言
 

●その修行のありようとして、「山臥する」。転じて「山臥修行者」

平安時代、「験者/山伏修行者」は、熊野詣の「先達」を務める。
 この頃は、「山伏」よりも、先達、聖、聖人、行者と呼ばれるほうが多かった。

 ※聖とは「日を知る」者。先々の事を予言しうる者。
 「優婆塞から、はっきり験者として山々を修行してくるようなすぐれたものが、
  とりわけ聖の名をもって称せられるようになるのである」。


「聖の住処はどこどこぞ、大峰、葛城、石の槌、箕面や勝尾や、書写の山、南は熊野、那智新宮」(梁塵秘抄


平安時代を通じて、当時の仏教思潮に助けられながら、固有の山岳信仰は修験の人たちの指導するところとなり、各地の山々は修行場として開かれていった。そうして、まだ一般民衆とまではいかないが、生活の力を余分に持った貴族たちは、実際に山の浄土に身を入れようとして、たびたび列をなして参詣することが行われた。それがまた刺激となって、聖たちの山間修行を盛んにさせた。 こうして山間修行のほうにもっぱら精力を注ぐ、山伏なるものが成立してくることになる」