川田順造『聲』(ちくま学芸文庫)より


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黒人アフリカ社会では一般に、人間は決して集合的に認知されてはいない。人間を、課税の対象、投票の員数、労働力、軍事力として、脱個性的に、互換性をもった等質の単位によって数量化し、集合的に扱うのは、むしろ近代西洋に発達した思考だ。アフリカの村落の住民を、人口何人という形で、数量化して把握するようになったのは、ヨーロッパの植民地統治に伴って人頭税がとりたてられたり、強制労働や軍隊に住民がかり出されるようになってからのことだ。アフリカの小さな村や家族で、その首長に彼の村や家族の成員が何人かと訊ねても、答えは返ってこないのが普通だ。だが、個別に、誰と誰がいるという形でなら、誤りなく列挙できるのである。老婆も、壮年の男も、幼児も、ひとしなみに頭数で表わすのは、不条理でさえある。


※普遍的思考から零れ落ちるもの、もしくは収まらないもの。人間にとってきわめて大切なもの。