2009-04-01から1ヶ月間の記事一覧

時には、

言葉をなくす日もある。言葉をなくした日の自分には足もない。足はなくても靴をはいて出かける。歩く歩く、なくした言葉を探して歩く。そのうち、言葉をなくしたことも探していることも忘れて、なんとなく家に帰る。足がないことを忘れている間は、足はきち…

読むから書く、書くから読む

われわれは皆ゴーゴリの「外套」から出てきた。と言ったのはドストエフスキー。それはつまり、ドストエフスキーがゴーゴリの「外套」から小説の方法を読み取ったのであり、その方法とは、「哀話」としての素材を「喜劇」に「異化」するものであったと、その…

かすかで、大きな、揺れ

私は泣いたことがない、などと言うとまるで井上陽水か中森明菜のようであるけれど、人前では泣かない、それだけでなく、喜怒哀楽もあまり出さない、そんな「含羞人生」(こういう表現でよいのだろうか…)を、ン十数年。感情とか心の動きというものは、外に漏…

滑稽な書き手

逸脱、もしくは脱線、と言うなら、そこには「本筋」というものが前提されている。しかし、それがない。仮縫いのしつけ糸のようなものの手触りはかすかにある。あくまで仮縫い。 『挟み撃ち』後藤明生。 とつぜん記憶がよみがえる、とつぜん事態が動く、とつ…

散歩の戒め

終日、単行本のゲラのチェック。合間に気分転換に洗足池散歩。休日の洗足池はスワンボートが楽しげに行き交う。池にかかっている木橋は、DOCOMOのCMで「おじいちゃん、池と沼の違いは何?」と女の子が携帯で電話しているあの橋。池と沼の違いは、河童がいる…

おひまな読者よ!

言うに言えないこと、言葉にならない何かを、別の言葉で表現する。(別の言葉は、じつは、「こういうことについて話しているのではない」ということを暗示する)。そして、その言葉を読む者は、ここに言うに言えないことがあるのだと感受する。そのやりとり…

自分の丘を探す

昨夜は、下北沢にて、恵泉女学園大学2008年度春学期日本語表現(文芸創作)の作品集完成の打ち上げ。 作品を書きあげるという過程で、どれだけ自分を無意識のうちに縛っていたものから抜け出すことができたか、自分を囲っていた枠を壊すことができたか、それ…

久留里線

久留里線は盲腸線。木更津から房総半島の内側に分け入って、上総亀山が終点。本当は木更津(内房)から大原(外房)までをつなぐ鉄道になる予定だったはずが、先に内房⇔外房間を小湊鉄道といすみ鉄道が結んでしまったので、盲腸線になってしまったとのこと。…

歌う珍味

昨夜は、<私>と<女王>と<赤パン>、女子三名で中華を食べ、そのあと二時間ほど軽く歌う。この三名は、珍味(食味ではなく、人間の持ち味という意味の珍味)として世(=狭い世間)に知られる。 歌の皮切りは<赤パン>。斉藤由貴の「情熱」から始まり、…

ゼロ地点

書評を書く。 「いい子は家で」(青木淳悟 新潮社)を読む。脱臼小説。こういう関節のはずされ方はあまり好きではないかもと思いつつ、もう少し読んでみようか、棚上げしようか、考える。 「世界を打ち鳴らせ サムルノリ半世記」(キム・ドクス 岩波書店)を…

入ってゆく

タハール・ベン・ジェルーンの最新刊『出てゆく』の帯には、こんな文章。 居場所はきっとどこかにある。 祖国を捨てて新天地へと人生をかけた男の、喜びと苦悩と絶望が、時にリアリスティックに時に幻惑的に描かれる。捨てることで得るものと、得ることで失…

耐寒花見

夕刻より出版関係の友人知人たちと江戸川橋公園にて花見。ひたすら寒い。使い捨てカイロを3枚、腰と両ももに張って、持ち寄り手作りの料理に乾き物をつまみに、ビールと梅酒を飲む。とにかく寒いが、とにかく花見、つまるところは花より団子。昨夜は東京国…

脱出

昨日、単行本原稿の最終稿4百枚弱を編集者にようやく送る。刊行は6月中旬に。ゲラが出るまで束の間のんびり。 小島信夫「別れる理由」全三冊をはまって読むつもり。 現在、4・3事件体験者のお話を聞き取り中であるゆえ、済州島関係も集中して読む心積も…