2017-02-01から1ヶ月間の記事一覧

近松の「百合若大臣」は……

幸若舞・説経の「百合若大臣」に説経「信太妻」の趣向が入り混じり、やけに面白い。主役は筑紫の和田丸。今日の都の田村丸と並び立つ英雄。 「今度蒙古裡国の蝦夷起つて。新羅百済を攻め動かし直に日本と刧さんと賊船七百艘。対馬の沖に来る由日夜の注進頻り…

八王子城跡近くの石仏群は観音様ばかり

どおおおおおっと風吹く日に、八王子城跡あたりをうろうろ。寒かった。 八王子城の城山のふもとに観音堂がある。その脇の木立の中のあちらこちらに石の観音像、千手観音、十一面観音、千手十一面観音と。 これは西国33か所、坂東33か所、秩父34か所の…

著者のあとがきから。

「なかでもわたしにとってもっとも興味深かったのは、日本に多大な影響を与えた朱子学とその基礎にある易の思想であった。朱子学を中心とする中国哲学から私が手に入れたひとつのアイデアは、人間をその内面から捉えるのではなく、身体の置かれた空間とのか…

 「わたしたちはいったいこの国の国土と風景に何をしてきたのか」

と、著者は、『西行の風景』を締めるにあたって、書いている。「この国の国土と風景」という時、著者は、西行が壮大な意図を持って、和歌をとおして作り上げた神仏習合の思想の上に生れいずる風景を言っている。 しかし、西行って、こんな人だったとは全く知…

 昭和のごくはじめまで、北関東の農村地帯では、

所により村の神社で縁日に風呂を湧かし、近在の農家の人々に湯を振舞う風習があった。境内には戸板を並べて駄菓子などを売る店が出て<御神湯>の幟が立ち、湯殿と並んで社務所には浪曲の一座がかかった。 一座といっても親娘三人位で、母親の三味線に父親が…

白山修験と平家物語と時宗

平家物語、倶利伽羅峠合戦。この模様を伝えたのは、白山修験の徒。 砺波、倶利伽羅峠周辺を徘徊した修験山伏は、白山神の霊験功徳を唱導し、倶利伽羅峠の谷底に馬もろとも生き埋めになった平家の大軍の悲惨な死にざまを口寄せで繰り返すことにより、惨死した…

従軍僧は語る。

『平家物語』『太平記』『義経記』『明徳記』『結城戦場物語』『大塔物語』等の軍記物には時衆関係の記事が多い。 それは時衆が従軍僧として戦場に赴き、実戦の模様をつぶさに観察した結果。いくさ語りする時衆。

 軍記物語と時宗

「惣じて時衆の僧、昔より和歌を専とし、金瘡の療治を事とす。之に依りて御陣の先へも召連れ、金瘡も療治し、又死骸を治め、或は最期の十念をも受け給ひけるほどに、何れの大将も同道ありて、賞玩あるとぞ聞えし」『異本小田原記』より。

記憶の森を前にして。

2017年2月4日。「さまよい安寿原画展」のクロージングイベント「旅するカタリ その2」では、単に語り手が朗読したり、祭文語りが説経祭文を演じるだけでなく、そこに集う人々とともに「物語の場」を開くというささやかな試みをした。まず私たちは、画家屋敷…