2018-01-01から1ヶ月間の記事一覧

『身ぶりとしての抵抗』鶴見俊輔 より

アナキズムのことを考えている。 で、鶴見俊輔の「方法としてのアナキズム」を読んでいる。 以下、抜き書き「結局は能率的な軍隊の形式にゆきつくような近代化に対抗するためには、その近代化から派生した人道主義的な抽象観念をもって対抗するのでは足りな…

全的に受け入れるね、笙野が荒神をめぐって語っていること、荒神たちが言っていること。猫に自分をすべて明け渡した笙野頼子を私は信じるね。

少しだけ、笙野頼子と荒神が語り合うあとがき小説「言語にとって核とは何か」から抜き書き。「文学に何が出来るか?」だって別に出来ることをするだけだろう? だって出来ない事は出来ないから。ただ、もし出来なかったら、「みんな自分」も万が一悪くなくて…

ところで、白山修験は「百合若伝説」を唱導に用いたのではないかという推測がある。

そもそも、現在観音寺がある場所は、かつて諏訪神社があったと伝えられている。 それが、加賀・能登方面からやってきた白山修験の影響で、まずは観音堂に取ってかわられたと推測されている。 (泰澄伝説と観音信仰の密接な結びつき) ★能生―米山―国上山―弥彦…

「北越の百合若」について。参考までに。 江戸の儒学者、すげーーという話。何がすごいって、朝鮮語の知識まで駆使して軍記物の注釈を書くわけよ。そんな注釈に目を通して、寺の由緒書に流用する地方の儒学者もいるって話で。

いや、今の知識人たちが欧米の言語をすらすらペラペラ操るのと同じように、中華の世界観の中に生きる知識人たちが、中国・朝鮮の言語を操ったところで驚くこともないはずなのだけれども、すっかり近代以降の頭で生きている私は、やはり、うっかり、すげーー…

要は、説経、伝説、浄瑠璃を取り込んで、幕末に、寺を盛りたてるために巧みに創られたお話なのです。

※以下の記述は『北越の百合若伝説 上・下 ―地方における伝説の生成と変容― 』(板垣俊一)による。「北越の百合若伝説」とは、 新潟県北蒲原郡聖籠町諏訪山にある真言宗新義派(智山派)の寺院 聖籠山宝積院 観音寺にまつわる伝説。越後29番 蒲原27番 聖籠山…

津波まで含めて、全的に、海とともに生きるということ。

これは、3・11後を生きる雄勝立浜のひとりの漁民の言葉。 (言ったそのままではない。私の脳内翻訳を経ている。)神楽の担い手たちには「好きの神」がついているということ。 神楽に魅入られた者たちは神を宿らせて踊るのだということ。菅江真澄の記した大地…

かつて、神楽師(陰陽師)と瞽女の争いがあった。それは天保二年(1831)のこと。新座郡大和田の瞽女が、南秋津村の陰陽師

当事者の瞽女は久米村(所沢市)の座頭歌一の配下にある。瞽女仲間は従来陰陽家と付き合わない、という瞽女側の姿勢に対して、怒った陰陽家のほうから瞽女が暴力をふるわれたり、(天保2年 1831)あるいは陰陽家に門付けをするには「門明すすぎ金」という名…

東京都あきる野市二宮には、かつて二宮芝居と呼ばれる歌舞伎集団が存在した。

※以下の記述はすべて、『多摩のあゆみ』第107号 特集「神楽、神楽師」に拠る。 この集団は神楽師によるもので、多摩地域を中心に盛んな活動を繰り広げていた。 二宮の神楽師を取り仕切っていたのが、古谷家。陰陽師でもある。 (古谷家と関わりの深い南秋…

金属民俗学、という視点がある。 それは、戦慄せよ! と、平地人たるすべての近代人に語りかける。

金属民俗学から読み解く『遠野物語』とは、遠野の「物語」ではなく、遠野という地に物語を呼び込んだ「金山」と、「金山」に向かって物語をたずさえつつ旅をした者たち/山師/山伏/聖/遊行の徒たちによって種をまかれ、風土によって育まれてきた「物語」…

遠野に伝わる「阿字十万……」の偈文から、旅する物語における、真言修験、念仏聖の存在の大きさを知る。

遠野の小友町の座敷念仏の中に、「阿字十万三世仏 微塵(彌字) 一切諸菩薩 乃至(陀字)八万諸聖教 皆量(之)阿無(弥)陀仏」という偈文がある。これと「神呪経」との深い関わり。「神呪経」は、高野聖の念仏に理論づけをしたという興教大師・覚鎫の思想…