近世の「説経語り」の風景 (俗山伏)

和歌森太郎『山伏』より


山伏がいちだんと落ちぶれて、その信仰を押売りに門付けを行なうなどのことがあった。説経を門付遊芸としておこない、お布施をもらうために山伏祭文を語って歩く、まったくの俗山伏がいたのである。


浪花節が山伏祭文から起っていることは周知のとおりであるが、これがなんとなしに平俗きわまるものとして低劣に見られるのは、祭文語りが零落した山伏の姿であったこと、語る内容があまりに特殊な社会のことでありすぎたからである。



江戸時代の山伏にもピンからキリまであったのであって、なお中世的な果敢な山岳修行にいそしもうとする、修行本位に生きる山伏もいたとともに、祭文語りからごろつきに転化したようなものまで、種々のタイプがあったのである。



全体的にいえば、町や村のなかに院坊をもって、その近在の民家を檀家とし、招かれて祈祷に出かける、あるいは遠方の山参りなどの代参をしたり、代願人になる、そうしたタイプのものが、江戸時代には最も支配的だったのである。