2010-08-01から1ヶ月間の記事一覧

マラドで人生を観る

ここ数日、雨天続き。今日こそはと、一瞬の晴れ間のなか、船に乗って韓国最南端の島マラドを目指す。 マラドに行くには、市外バスでモスルポまで行き(約1時間)、モスルポでバスを降りたら、モスルポ港になるマラド定期旅客船乗り場に向かう。朝10時頃から…

可視化に抗する

28日は、海女博物館に行った。行く道々、本郷堂を見てまわった。「堂」は聖域。「堂」と書くと、何か建物を連想しがちだが、聖なる空間、といった意味合いで、建物ではない。さまざまな神がさまざまな堂で祀られている。特に本郷堂は、村の主たる聖域。こ…

雑録

済州島。 相変わらず、バスに乗れば、ラジオが流れていることが多い。つい先日乗った市外バスの運転手さんは、かかってきた電話に出て、運転しながらしばらくの間携帯で話していた。みかん。日本人は皮をむいてから二つに割って食べる。韓国人はいきなり二つ…

お昼御飯は海辺の絶景の海女食堂で

済州島。 昨夜は中山間地域にある新豊里の儒学者の家に一泊。たまたま隣家で一周忌の法事をやっていた。了解を得て、法事を覗き見る。家族は淡い黄色の伝統的な衣を身につけている。(「陸地」では白い衣であったように思う。忠清南道大田では白かった)。祭…

挟み撃ち

済州島中山間地域。海と山に挟まれたこの地域は、ただそこに住んでいるというだけで、敵と味方、国家とそれに抗する武装隊、生と死の出口なしの疑心暗鬼の狭間に多くの人々が追い込まれていった。山に逃げても殺される。海岸部に降りていっても、やはり殺さ…

「石」という運命

火山島、石の島、済州島。この島で石にとりつかれて40年、石に狂って40年、という男に会った。男は、溶岩が固まってできた玄武岩の、自然の造形の妙、石からあふれ出てくる生命力に突き動かされて、山へ、海へと、石の声にひたすら耳を澄ませて分け入ってい…

顎のある人生、ない人生

済州島の海辺の村、ウォルリョン里に、木綿布ハルモニが下顎を銃弾で吹き飛ばされてから、亡くなるまで、60年近い歳月を過ごした家を訪ねた。4畳半2間の家。締め切られていた家の中に入った瞬間にモワッとした空気に包まれる。遺影にお線香をあげようとし…

落穂拾い

済州島の中山間の村では1980年代半ばまで、トイレは外、しゃがみこむその下には豚。どの家にも豚がいた。トイレの現代化(!)は、済州島で何かの全国大会があった時に、このような原始的なものを見せてはならないという行政の方針で推進されたという。文民…

あれもこれも・・・

済州市内からバスに乗って、モスルポへ。ここを起点にチェジュオルレ(オルレは済州島方言で小道)の第10番コースをゆく。チェジュオルレは、散策コースとして設定されている。道のところどころ、木々にオルレの目印としてつけられている赤と青のリボンを辿…

クッ 굿

済州島の巫俗の研究者姜昭全さんの好意で、彼女が懇意にしている神房(=巫堂 ムーダン)が執り行うクッを今日一日、朝から晩まで観てきた。一週間行なわれるクッの、今日が3日目。本日はまず午前中に「三公本縁譚」(前世についての由来と、その解決の過程…

運命、もしくは諦念という名の「記憶」

8月18日に済州島に入って、この二日間であまりに多くの人に出会い、多くの話を聞き、すでに頭の中は混沌の渦。4・3事件の記憶(なかでも語られることのない記憶)、その背景にある済州島の歴史・文化・風俗を知りたいという旅人に、出会う人すべてが全…

済州島には船で行く。

かつて戦前には、済州島⇔大阪航路があった。君が代丸という船が通っていた。島と大阪はダイレクトにつながっていた。戦後、船は通わなくなっても、島と大阪を結ぶ闇の航路は存在し続けた。 1948年、済州島であがった、南北分断へと突き進む南側の単独選…

済州島行き目前

引き続き、厳しい一週間。学生たちの文章にコメントをつける。雑誌「風の旅人」の原稿20枚を書く。『あなたたちの天国』の訳者あとがき36枚を書く。間をぬって、俳句を詠もうとして詠めずにただただ唸る。(初めて句会に参加した)。来月出産予定の娘の様子…

一週間

佐賀・福岡の旅から戻ってくるなり、月曜からは過酷な一週間でした……。 週半ばには三十八度の熱まで出して、それでも、5日間で15コマをこなす文芸創作集中講義をようやく終えて、土・日と寸暇を惜しんで寝て、(それでも合間にお尻に火のついた状態の原稿を…

可能性の扉を叩く

金、土と佐賀で、次世代リーダー養成塾の高校生180名を相手に「物語」について語り、「表現」においてテクニック以前の一番大事なことを伝えようと、浪曲乙女玉川奈々福と二人、大いに奮闘した。具体的には、高校生たちに、まずは尊敬する先人をひとりを選ん…