2010-01-01から1年間の記事一覧

absent-minded 上の空

最近忘れっぽい。そもそも覚えない。隣のおばさんの顔がどうしても思い出せない。引っ越してきたばかりの私がまだ洗濯機を持たないことを察して、「うちのを使いなさいよ」と言ってくれた、出会いがしらのその一言で強烈な印象を残したおばさんなのだが。(…

幸福は永遠に女だけのものだ

と、澁澤龍彦は書いたけれども、これは、不幸は永遠に女だけのものだ、というのと大して変わらない、つまりは大して意味のない言葉のように思える。時折、私は幸福になりたいと無闇に考えたりもするが、それもまた澁澤の言葉と同じくらい無意味のような気が…

阿房列車でいく。

近々、友人を訪ねて秋田に行く。 秋田・大館フリー切符という、首都圏から秋田方面への行き帰りに新幹線も寝台も乗れて、しかも秋田・大館のエリア内は7日間乗り放題の、なかなかに結構な切符を見つけて、旅心が大いにふくらむ。ならば、行き帰りは寝台特急…

「詩人は」

詩人は 片目をおおうて 世を渡る 二つの珠玉を見せて 一つだけ取れといった人には 珠玉の輝きを讃えるだけで踵を返したどこへ行くところかと 問う人があればただにっこり笑ってだけみせよう襤褸をまとって街に立ち こころはいささかも乱されぬ。 これは李漢…

返事を書く

新居第二夜。学生が貸してくれたDVD「奇跡のシンフォニー」を観る。 運命に弄ばれバラバラにされて生きてきた3人を音楽が見えない糸となって結び続け、遂には再会させるという、現実にはまずありえない夢のような物語。主人公の少年は音楽の化身のような存在…

後家の涙

明日は引越し。段ボールに囲まれてチェホフ「学生」を読む。荒涼として陰鬱ですべてが寒い夕闇。学生は考える。「リューリクの時代にも、ヨアン雷帝の時代にも、ピョートルの時代にも、これとそっくりの風が吹いていただろうということや、彼らの時代にも、…

空白

猪飼野を詩人と歩いた。「恋は水色」が流れる喫茶店で詩人と珈琲を飲んだ。大阪文学学校の近くの居酒屋で詩人とささやかな宴、詩人の「至純の歳月」の話を聞いた。詩人が穏やかにこう言った。「君は全羅道の顔をしている」。どういう顔? 「穏やかで柔らかい…

生きてあれば

こまこまとした雑用を片付けるうちに一日が終った。翻訳手付かず。島比呂志のエッセイ『生きてあれば』(ハンセン病文学全集4所収)を読む。 「わたしは、なんのために、ものを書こうとするのであろうか。十年近い歳月には、失明の不安におののいたこともあ…

歌は歌い手の数だけ。

佐藤友哉『1000の小説とバックベアード』(新潮文庫)。なぜ書くのかということをめぐる、若々しく、心躍る、物語。文学オタクが書くものは、とかく自己完結しがちなのだけど、ここには、自己完結を打ち砕こうとする意志と言葉がある。才能は自分自身を打ち…

宝石

井上ひさし、今さらながらだけれども、やっぱりうまいな、見事に太宰を生かしてくれた。『人間合格』。 『人間失格』の堀木とのやりとりのエピソードを下敷きにして、第二幕の最後を飾る、修治(太宰)と二人の友のたたみかけるようなやりとり。 佐藤:三人…

心の羽ばたき

引越しの準備やらなにやらの隙間を縫って、日々翻訳。漸進。『1000の小説とバックベアード』(佐藤友哉 新潮文庫)、『キラ キラリナ』(パナイト・イストラティ 未知谷)を書店でジャケ買い。『キラ キラリナ』はちらと覗き見た語り手の語り口(騙り口)に…

死に切って、生きる

「ハンセン病文学全集4 記録・随筆」に収められている「地面の底が抜けたんです」(藤本とし:邑久光明園)を読む。藤本としさんは、明治34年東京生まれ、大正8年に十八歳で発病、昭和23年失明。「あれから(失明してから)25年もたったんですねえ。…

座敷童子という生き方

『人間合格』(井上ひさし)と『人間失格』(太宰治)、この2冊が仲間うちでのヨミ会(読書会)の次回の課題図書。ヨミ会の若いメンバーから「人間失格」を再読しようという提案があったのが昨年末で、そのときに詩人がるがんちゅあが「人間合格」も合わせ…

身一つ。

横浜方面に居を移す。正式決定。引越しは一ヵ月後。引越しのたびにいろいろなものを捨て、身軽になっていく。しがらみも、よどみも、迷いも、少しずつ、振り落としていく。いつどこに飛んでいっても、大丈夫なくらいの、身一つ。それが目標。 「なにかになる…

蘇生

「百年はもう来ていたんだな」 と漱石の『夢十夜』の第一夜は終わる。「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」と言って息絶えた女との約束を守って待ち続けて待ちくたびれて騙されたのではとさえ思い始めていた男の、気づきの…

出航

横浜で年越し。 12時ジャストに港に鳴り響く汽笛を聴き、遠くで弾け散る爆竹の音を聴き、ランドマークを照らす花火の光を見た。四半世紀前、自分にとっては節目の年の新年を汽笛を聴きながら横浜で迎えて以来のこと。今年はきっと節目の年だから、もう一度は…