文学

 詩人金時鐘を語るならば、詩人小野十三郎「詩論」を読まずには済まされぬ。 

詩論39 新しい郷土観が創られるためには、人間一人一人がその精神に、ダムの湖底に沈み去った故郷を持つ必要がある。これは強烈な言葉。 詩論37 田舎はいいなどと云っている奴があれば、その田舎に愛想をつかさせることも必要である。それによって人間の…

金石範「在日朝鮮人文学」より

ことばが開かれたそのときはすでに想像力の作業によって虚構の世界が打ち上げられたときであり、虚構はことばに拠りながら同時にことばを越えたものとしてある。 それはまたイメージ自身がことばに拠り、それに拘束されながら同時にそのことばを蹴って飛び立…

1971年『文学界』に発表された「夜」は1960年大阪が舞台だ。

火葬場のある町、母の死、そして北朝鮮への帰国運動……。 隠坊、癩者、朝鮮人、川向うの人々。 火葬場にて。 「すすけて真っ黒になった凹凸のはげしい高い壁が天井に接して目に入ってきた。そこには無数の嬰児の大きさをもったざらざらで粗雑な仏像ようのもの…

金石範作品集?より「糞と自由と」。そのなかに流れる朝鮮民謡「トラジ」

戦争末期、徴用されてきた北海道のクローム鉱山から逃亡を企てた李命植は、山すその茂みに身を潜ませていたそのとき、声を聴く。 そのとき、なにか人の声がしたと思った。それは彼にどきんとさせなかったほど、ふしぎな声だった。風にのってそれは歌のように…

リービ英雄が語る、古井由吉との「書くということ」をめぐる対話。

「書くということは本質的に、どこか母語の外に出て、戻ってくるということ。ぼくがはじめてこういう話をしたのは、作家デビューをする前、古井由吉という、誰よりも日本語を、まさに母語として極めた作家と話したとき。そのときに、書くということが、日本…

水。なのだな。

流れる水。 新しい世界への水路。ル・クレジオ『ラガ』。訳者の管啓次郎さんが、こんなことを書いている。「文学の大きな役割が、世界を重層的に想像することの手助けだとしたら、そして追いつめられ窒息しそうな人々の別の生き方、別の世界のあり方をしめす…

昨夜は両国のシアターXにて、朗読劇「ディブック」を観た。

ユダヤの民間伝承に伝わる悪霊ディブックの伝説を下敷きに、「前世の契りによって結ばれた若い男女が辿る悲劇を描いたユダヤ演劇史上もっとも有名な戯曲」とパンフレットにある。2時間弱の長丁場。 生者も死者も同等に扱われるユダヤの律法による裁きの場。 …

 新しい本が出ます!

四六判上製 80頁 オールカラー 本体価格2400円 羽鳥書店 2015年9月中旬刊行 挿画:山福朱実、屋敷妙子、早川純子、塩川いづみ〈はじまり〉を生きる者たちの歌。済州島から、サハリン、台湾、八重山へ―― 路傍の声に耳傾け、旅人がめぐる3つの〈はじまり〉「あ…

千とは、つまり「無数」なのだ

と、ボルヘスは言う。(『七つの夜』の中で)。 無数の夜、数多の夜、数え切れない夜、それにさらにもう一夜を加えて、千一夜。無数、無限のダメ押し。 物語は永遠に語られ続けるのである。 誰に? コンファブラトーレス・ノクトゥルニ cofabulatores noctur…

誰でもそれぞれの死後を生きている。

古井由吉『野川』。受け取りそこねた沈黙がある。その沈黙に耳を澄ます。そこに聞き取る何かは、この世のものではない何かのようである。それを聴く自分自身もこの世のものではないようである。「わたしは一滴の水となった。滴となり大海に失われた。わたし…

妄想する耳

古井由吉の作品集『聖耳』を読んでいる。延喜帝が深夜、京の端で泣く女の声を聴き取り、今すぐその声の主を尋ねよと蔵人に厳命して、探し出させた逸話を表題作「聖耳」の中に古井由吉は書き込んでいる。。 それは声にまつわる空恐ろしい語り。「一里の道を渡…

今年もよく旅をした。

年の初めから、詩人谺雄二の声を千年先まで飛ばそうと、谺さんに会いに、本を作りに草津の栗生楽泉園に通った。5月11日に谺さんが逝ってしまう前に、本は滑り込みで間に合った。谺さんの「いのちの証」。『死ぬふりだけでやめとけや 谺雄二詩文集』(みすず…

「わたしは居心地がよいと思う場所には決していたことがなかった。(・・・・・・)さまざまな理由で、恥辱がわたしの全人生を覆い尽くしている」 (デュラス『愛と死、そして生活』)

「殺したい、という欲望を、わたしは一生もち続けている。はっきり言う。わたしがもち続けているもののなかでも、最ももち続けているのはそれだ」(『アルテルナティヴ・テアトラル』誌より)「物事を学んだとたんに、あるいはそれらを見たとたんに、早くも…