2011-01-01から1年間の記事一覧

若者は被災地に来るな……

気仙沼と陸前高田で瓦礫撤去のボランティアをして横浜に戻ってきたばかりの姪っ子が、被災地の暮らしと横浜での日常のあまりの落差に心のバランスが取れないという。彼女は、陸前高田に最初に救援に入ったのは米軍だったという話を現地で聞いた。瓦礫撤去し…

はづべしいたむべし

5月31日に高史明さんにお目にかかり、3時間ほどお話を伺った。一九七〇年代の高史明さんのハンセン病療養所との関わりにまつわることを出発点に、話は親鸞、宗教、思想、人間、世界の認識、言葉を乗り越える言葉、等々、さまざまに広がっていった。 心に深く…

私が泣いているのは、自分のことやなんかじゃないよ

6月1日〜3日と、新潟・柏崎に行ってきた。6月2日、わけあって柏崎でパチンコ。パチスロ「エヴァンゲリオン」で大当たり。使徒殲滅だの、非常事態だの、暴走モードだの、ピコピコ光りだすと、「残酷な天使のテーゼ」が高らかに鳴り響いて、玉は出るし、…

芦穂橋〜潮鶴橋

鶴見散歩。鶴見川にかかる芦穂橋から潮鶴橋まで、きれいに舗装されている川辺の遊歩道を歩く。ここはかつては、いわゆる“朝鮮部落”でバラック密集地帯だったところ。暑かった。

なにもない

この一週間は、まことに慌しく過ぎた。 5月23日〜25日、石垣島・西表島。ハンセン病市民学会沖縄交流集会のオプショナルツアーに参加、西表島に幻の癩村構想の予定地を訪ねた。西表島大原港で、仲間川をさかのぼる遊覧船に乗り、両岸の猛々しい生命力に…

三十八度線

川崎・桜本、西の屋にて柏崎つながりの焼肉集会。私と同世代の柏崎生まれの方が二名(1965年生まれ男子、1962年生まれ女子)によれば、子どもの頃、柏崎では陣取り遊びを「三十八度線」と呼んでいたという。どうやら60年代、70年代は確実にそう…

ラテン沖縄

友人の画家屋敷妙子と、新潟・柏崎への旅の打ち合わせがてら、鶴見線浅野駅界隈を歩く。画家はさんぴん茶、私はグァバ茶のペットを片手に(沖縄物産センターで買った)、仲通り商店街、潮田銀座をうろうろ。ともに戦前からの沖縄人、朝鮮人の集住地区、狭い…

サン・テグジュぺリ『人間の土地』を読む。 「たとえ、その日の飛行が、幸福な旅である場合にも、空路のどこかの一端を飛行中の操縦士は、けっして単なる外景を眺めているわけではない。地と空のあの色合い、海上のあの風の足跡、暮れ方のあの金いろの雲、彼…

「横浜の中の沖縄」生まれ

一昨日は、ハコちゃんの初節句。兜の代わりに、コムサで見つけたハコちゃん好み(と勝手に私が思っている)帽子を買う。まだ8ヶ月のくせして、帽子のサイズは50センチ。頭、デカっ。ただいま2頭身半。 わが母が今まで保管していた、私を出産する時の「母…

取り返しがつかない

インタビューの文字起こしの合間に、チェーホフを読む。『六号病棟・退屈な話』(岩波文庫)。『第六病棟』。哲学する小人、決定的に他者への想像力を持ち合わせない無意識の特権者、アンドレイ・エフィームイチ医師を襲う、想像力の欠如ゆえの取り返しのつ…

メモ: 60年代

1960年代にまつわる一つの証言。鈴木道彦の金嬉老裁判に関わっての言葉。 「とりわけ私たちがこの裁判にかかわるようになった六〇年代は、日本中に告発の言葉が充満している時期だった。そうした告発は、ときには人が自分を呪縛するものを断ち切って解放…

猫三匹

言葉というのは不自由なものであると思う。この世に五体満足の言葉なんてあるのだろうか。なくした指の夢を見るように、見えない指がうずく、そんな疼きや痛みを言葉は語りうるのだろうか。 今日、書きとめた言葉。 「苦しまないと人生にすまない」(by南承…

死者とともに死ぬ生者

ブックギャラリー・ポポタムで、チェチェンイベント。2001年2月にロシア軍によって数多くの非武装の民間人が虐殺されたアルディ(グロズズイの南の端のほうの村)の、当時の凄惨な映像とそれを2009年に証言した村の人々の映像によって構成されたド…

もっと深く、痛く

東京・丸善4階のカフェでサウダージ・ブックスの浅野さんと会う。2003年から雑誌『風の旅人』に書きついできた記憶の旅の物語をいかに一冊の本にするかを話し合う。3・11で何かが根本的に変わり、「記憶をつなぐ旅」から「空白をつなぐ旅」へと確かに移り…

メモ  棄民は楽園を目指す

中学の入学式の日からの友人で画家の屋敷妙子が京橋のギャラリー椿で個展を開催中。(4月13日〜27日)。http://www.gallery-tsubaki.jp/2011/0413/0413.htm 『イリオモテ』(岩波書店)の表紙画を描いてくれたのは、彼女。ややヘンタイ(褒め言葉)。 以下、…

諦めてないか?

風邪。微熱。テッサ・モーリス-スズキ『北朝鮮へのエクソダス』(朝日新聞社)を読む。大いに教えられる。すごいな、テッサさんは。敬服。 ポスト3・11をいかに生き延びるかを、出版関係の友二人と語り合う。 生きていくためにいろいろなものをつかみ取った…

ターッ、ターッ、ターッ。

本読む一日。小島信夫『小説の楽しみ』(水声社)再読。柳田邦男『雨の降る日は考える日にしよう』、金石範『火山島1』読了。三書三様のようであって、どれもが言語化されえないものと向かい合う想像力をその芯に置くものであるという点で通じ合う。「だか…

『女と孤児と虎』

知人から送られてきた、実に興味をそそられる映画上映会のご案内 …………………………◆『女と孤児と虎』上映会&トーク◆〜カイスン監督、クラウスナー共同制作者をむかえて〜1950年代から今日まで、海外養子として韓国から欧米へと渡った子どもたちは、約20万人にのぼ…

メモ:伝道者の書(コヘレトの言葉)

エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば。空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。 日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。 一つの時代は去り、次の時代が来る。しかし地はいつまでも変わらない。 日は上り、日は沈み、またも…

フスターヴァチ(起床)!

プリーモ・レーヴィ『休戦』(岩波文庫)。冒頭、「雪解け」の章において、初めてロシア軍がプリーモ・レーヴィが収容されていたブナ=モノヴィッツのラーゲルに姿を現した時、その最初の4人の若い騎馬兵がラーゲルの惨状を目の当たりにした時のことを、レ…

叱咤は痛い

金石範『死者は地上に』を読む。80歳を越してなお瑞々しく、かつ懐の深い想像力、骨太で自在の筆。叱咤される思い。「トゥタン、タンタン。深い深い地の底の樹々の茂る森、大きな榎木の蔭の湖のほとり。話ができません、ことばは躯から離れない。やつらにさ…

戒め

自分の痛みには敏感であっても、 他者の痛みには鈍感極まりない、 感受性が自分の経験値の内でしか動くことがなく、 外への想像力を持ち合わせていないことを知ることもない、 そうして、自分に安心安住して充足してしまわぬよう…、 傍らの他者を傷つけぬよ…

メモ

なくても ある町 そのままのままで なくなっている町。電車はなるたけ遠くを走り火葬場だけは すぐそこに しつらえてある町。 みんな知っていて 地図にはなく 地図にないから 日本でないから 消えてもよく どうでもいいからか 気ままなものよ…… 金時鐘『猪飼…

世界はきみを信じている

今を生きる言葉を探して、途方に暮れつつ、ようよう原稿を書き終える。22枚。 辻征夫の詩を読む。 - 「蟻の涙」 どこか遠くにいるだれでもいいだれかではなく かずおおくの若いひとたちのなかの 任意のひとでもなく この世界のひとりしかいない いまこのペー…

ざわざわする日々

心がざわざわして、しばらく腰を据えてモノを書くということができぬままにいたら、石垣島の水牛老師から、地震以降どうしているか、心配しているとメール。ああ、知らぬ間に自分は内向きに閉じていたんだなとハッとして、水牛老師に電話をする。久しぶりに…

とにかく歩いた。

3月11日、地震直後、まずは三河島から日暮里駅を目指して歩いた。情報が何もないなかで、とりあえず、山手線の駅に行ってみようと。三河島育ちの地元っ子の鄭さんが当然に何の迷いもなく、道をゆく、「あ、ここの駄菓子屋、子どもの頃によく来た」、そんな…

その時は三河島の路上にいた。

3月11日、午後1時に鄭暎恵さんとJR三河島駅で待ち合わせ。 三河島育ちの鄭さんの思い出の路地をたどり、倉庫のようなお店で食べた幼い頃のごちそうだったセッキフェの話を聞き、在日の子どもらが通ったという真土小学校(現在は学校ではなくコミュニティセ…

腰を据える

わけあって新居に寄りつけず、しばし放浪生活をし、その間にウズベキスタンのコリョサラム(=高麗人)で高麗新聞編集長のキム・ブルット氏を迎えての、「在日とコリョサラムの旅を語り合う会」の準備と本番をし、折りからの「在日外国人献金問題」で無性に…

同感

テーマは必要ではありません。人生にはテーマなんて存在しないし、また人生ではすべてが混じり合っている。深遠なものと浅薄なものが、崇高なものと滑稽なものが。諸君は仕来り(ルーチン)の催眠術にかかってそのとりこになり、離れられなくなっているので…

ことばに頼らないでことばをつかう

「詩とは――ことば(情緒)に頼らないでことばをつかうこと」と言ったのは、詩人のぱくきょんみさん。 山之口獏の詩「座布団」を引いて、詩そのものについて語っている。 「座布団」 土の上には床がある。 床の上には畳がある。 畳の上にあるのが座布団でその…