2015-01-01から1年間の記事一覧

これは文楽・時代物・三段。説経「さんせう太夫」の流れを汲む。

<作者> 竹田小出雲、二歩軒、近松半二、北窓後一、竹本三郎兵衛、三好松洛の合作。 先行作「三荘太夫五人嬢」の改作。<初演> 1761年(宝暦11) 竹本座 - 奥州54郡領主・岩木判官政氏は、岩木の領地を狙う一族の悪者(丹波の城主 大江の郡領時廉…

本日も資料読み まずは乳母嶽大明神

室町時代の末に起こった説経節は。近世初期に操人形と結びついて説経浄瑠璃になる。 が、義太夫浄瑠璃に圧倒されて、享保末には衰退したという。それでも、「山椒太夫」をはじめとする5説経は、その後も山伏が錫杖やほら貝を伴奏にして祭文にして語った。そ…

はたた神

さて、説経祭文「三荘太夫」では、海に飛び込んだうは竹は「はたた神」になって、直江津一帯に嵐を呼んだわけである。 「はたた神」。これは霹靂神とも書いて、激しい雷、いかづちの謂い。 はたた神は、同じく薩摩若太夫の説経祭文「小栗判官・照手の姫」の…

その昔、人買いって、どれだけ跳梁跋扈していたんだろう?

『自然居士』『桜川』『隅田川』。これは身売り・人買いを扱う能の演目。 西行が語り手であるかのような体裁で編まれた鎌倉前期の仏教説話集『撰集抄』には、越後の寺泊らしい海辺の市で人身売買が行われている様子が書かれている。(漂泊の旅人西行がそれを…

説経節と瞽女唄

かつて、新潟は新発田の瞽女内田シンは、こう言った。 「はやりぶしは、おらもっていがねば誰ももっていがね。そって、おらがはやらがしたものだ」。その瞽女唄への説経節の影響については種々の論考があり、一橋論叢一九九九年三月号では、秋谷治氏が『説経…

雄山閣の『盲人の生活』(大隅三好著)を読んでいる。

古代社会から近現代に至るまでの、古事記・日本書紀からさまざまなあることないことの文献を繙いて「盲人の生活」の歴史をたどっていくのだが、この著者が、なにか一言、世に物申したいオジサンで、とりわけ昭和の戦争については何か腹にすえかねる感じが漂…

神の名前

4月15日、新潟、上越、茶屋ヶ原、乳母嶽神社を訪ねた。説教祭文「山椒太夫」には、直江の浦で人買いにたぶらかされて、 安寿と厨子王は丹後由良へ、御台とうわ竹は佐渡へと向かう舟に乗せられるのだが、 海に飛び込んだうわ竹が復讐の大蛇と化して、それを鎮…

新刊『生きとし生ける空白の物語』出版記念トーク

新潟・北書店よりの告知です。 - 〜カシワザキ、そして果てしない「語り」の旅へ〜【日時】4月17日(金)午後7時〜【場所】新潟市中央区医学町通2の北書店(新潟市役所向かい)【ゲスト】作家、詩人姜信子(きょう・のぶこ) 画家 屋敷妙子(やしき・た…

4月3日大阪で。

今日4月3日は、済州島4・3事件から67回目の春。 済州島は南北分断へと闇雲に向かった李承晩政権に抵抗したがゆえにアカの島とされて、政府による無慈悲な虐殺が繰り広げられた島。その記憶が押し殺され続けた島。ノ・ムヒョン大統領がようやく国家の過…

アラビアの夜の種族

少し眠っては目が覚める、昼夜のリズムと体のリズムがまだ折り合わぬ、バンクーバーの夜。 今日の昼間、ブリティッシュコロンビア大学でのセミナーでは、下記の言葉を出発点として、私は「空白」を生きる、「空白」をつなぐ、ということを語った。 「思えば…

瞽女とおしゃらく。

これは江戸川べりの堤で歌う瞽女。昭和初年頃の撮影らしい。今日、新小岩のグリーンパレス内の江戸川区郷土資料室まで出かけて、「江戸川区郷土資料集 第12集 瞽女の記録」をコピーしてきたのである。おかげで新小岩駅に初めて下車。バスに乗って、江戸川高…

千とは、つまり「無数」なのだ

と、ボルヘスは言う。(『七つの夜』の中で)。 無数の夜、数多の夜、数え切れない夜、それにさらにもう一夜を加えて、千一夜。無数、無限のダメ押し。 物語は永遠に語られ続けるのである。 誰に? コンファブラトーレス・ノクトゥルニ cofabulatores noctur…

中西和久ひとり芝居『山椒大夫考』

友人の中西和久さんのひとり芝居「山椒大夫考」公演が、 5月に川崎である。これはすごく面白い。 16年前に博多の住吉神社の能楽殿で初めて観て、すっかりやられた。5月公演の詳細は以下のとおり。 2015年5月4日(月・祝)14:00開演 会場:川崎市アートセンター…

 日向の勾当、景清

田代慶一郎『謡曲を読む』(朝日選書)を読む。 取り上げられているのは、「熊野」「景清」「蝉丸」。 まずは「景清」から。 平家の武将悪七兵衛景清は、平家滅亡の後、日向の国に流され、そこで晩年を送ったという伝承がある。それが幸若舞にもなり、謡曲の…

生きとし生ける空白の物語

2010年に西日本新聞で連載した「済州島オルレ巡礼」、 2011年8月より新潟日報に連載した「カシワザキ」、 いずれも「空白」をめぐる旅の物語。3・11を結び目に一冊の本となる。『生きとし生ける空白の物語』(港の人) 刊行は3月12日の予定!…

生命の記憶

生命の記憶、とは、知性からは「みえない記憶」、生命それ自身が持っている記憶、と内山節。「それは生きているということ自体がもたらした記憶といってもよいし、生命の躍動や生命の停滞とともに蓄積された時間の記憶でもある」。 「この生命の記憶を概念的…

猿八座『源氏烏帽子折』公演@新潟県民会館 その2

2月1日朝。新潟市内は昨夜からの雪。県民会館前の風景。 13時からの公演の準備は午前9時よりはじまる。 忠臣たちが互いに誤解して、亡き主君源義朝の卒塔婆を互いにつかんで争う場面。昨日の公演を踏まえて、入念な動きのチェックと修正が行われていた。 …

 人間が人形に動かされる瞬間がある。

今日、2015年2月1日、新潟県民会館で猿八座の古浄瑠璃公演『源氏烏帽子折』を観てきた。昨年12月に猿八座の座付太夫の渡部八太夫師匠に入門したこともあって、ただ観るのではなく、裏方スタッフの一人として、リハーサルの様子を眺めたり、ほんの少…

2015.3.11展

イトー・ターリさんの呼びかけに応えた、私を含めた5人の表現者が、ともに4年目の3・11を想う場を創ります。 以下は、ターリさんの言葉です。4年が過ぎる 3.11 考え、思いをはせる空白の日にしました。 その日を囲むように、それぞれが表現の場をつくりま…

誰でもそれぞれの死後を生きている。

古井由吉『野川』。受け取りそこねた沈黙がある。その沈黙に耳を澄ます。そこに聞き取る何かは、この世のものではない何かのようである。それを聴く自分自身もこの世のものではないようである。「わたしは一滴の水となった。滴となり大海に失われた。わたし…

 3月21日は、博多で、「浪曲からパンソリへ パンソリから浪曲へ」!!

浪曲:玉川奈々福×澤村豊子 パンソリ:安聖民×趙倫子 道案内:姜信子詳細はこちら。 http://tanise.seesaa.net/article/412890224.html …こんな時代化だからこそ、大道の語りの遊芸者たちの、からからと底抜けの声のチカラ。

妄想する耳

古井由吉の作品集『聖耳』を読んでいる。延喜帝が深夜、京の端で泣く女の声を聴き取り、今すぐその声の主を尋ねよと蔵人に厳命して、探し出させた逸話を表題作「聖耳」の中に古井由吉は書き込んでいる。。 それは声にまつわる空恐ろしい語り。「一里の道を渡…