2009-01-01から1年間の記事一覧

音は見て覚える、手に叩き込む。

ようやく単行本の再校ゲラのチェックを終える。これまでゲラで直しを入れることはほとんどなかったのだが、今回に限っては、これでもかこれでもかと直しを入れている。元原稿が新聞に連載された時から数えて、足かけ3年。本気で連載原稿の改稿に取り掛かり…

n次元の言葉

『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか 済州島四・三事件の記憶と文学』(金石範・金時鐘)を読了。四・三事件をめぐって書き続けてきたのは作家金石範。沈黙してきたのは詩人金時鐘。 四・三事件の渦中にあって凄惨な体験をしたのは金時鐘。日本にあ…

亀が池で…

洗足池図書館に予約していた本を取りにゆくがてら、洗足池を散歩。鯉が水面すれすれにウワンウワンと口を丸く開いたり閉じたりは見慣れた光景だけれども、大人の親指くらいの大きさの、くらぐらした水の色とおんなじ色合いのものが2本、3本、水面からツン…

宣言

5月11日午前。鹿児島鹿屋の星塚敬愛園資料室で、詩誌「らい」を読む。らい詩人集団によって1964年8月に創刊。らい詩人集団には、昨年3月草津の栗生楽泉園に訪ねていった詩人谺雄二さんも参加していた。創刊号巻頭に置かれた宣言。 一.私たちは詩によ…

人間って、なんだかな…

ハンセン病回復者の上野正子さんのお宅に一泊。夜10時、水しか出なくなった療養所の大きなお風呂で二人だけでハダカのおしゃべり。 ハンセン病国家賠償訴訟で勝ったその瞬間こそが人間回復の瞬間だったと上野さんは話す。しかし、それはけっしてきれいごとで…

私、嘘はつきません。

先日のこと。青山一丁目に行くのに、永田町で南北線から半蔵門線に乗り換えた。電車の扉が開いて乗り込んだ瞬間に、ふっと、“あの人”が乗っていると思った。車内を見回す。ほらね、左手斜め前方に、カバーをはずした文庫本を手に座席に座っている“あの人”。…

パレード

雨の銀座でブラスバンドのパレード。高校生ブラスバンドやらなにやら20チームほど。ブラスバンドはどうもいけない。上手い下手関係なく、あの足並みそろえた音の響きがいけない。私は泣いたことがない、などとうそぶきながら、ブラスバンドの音にうっかり聴…

たぶん、食べちゃうだろな、うさぎ。

横浜に行ってきた。みなとみらいは凄まじい人出。潮の香りに人の匂いが入り混じる。なまぐさいな、人間は。 ゲド戦記2「こわれた腕環」(アーシュラ・K.ル=グウィン)P182 ゲドの言葉「名まえを知るのがわたしの仕事、わたしの術だからさ。何かに魔法をか…

道。

都立大学の丘の上の図書館に本を返しに行く。夏の日差し。図書館前の広い芝生の庭には、小さなコドモ、その若いチチとハハ、カップルたち。団欒の芝生はなんだか敷居が高くて、のしのし入ってはいけず、うーん、どこかに行きたくなった、どこかに行きたいな…

時には、

言葉をなくす日もある。言葉をなくした日の自分には足もない。足はなくても靴をはいて出かける。歩く歩く、なくした言葉を探して歩く。そのうち、言葉をなくしたことも探していることも忘れて、なんとなく家に帰る。足がないことを忘れている間は、足はきち…

読むから書く、書くから読む

われわれは皆ゴーゴリの「外套」から出てきた。と言ったのはドストエフスキー。それはつまり、ドストエフスキーがゴーゴリの「外套」から小説の方法を読み取ったのであり、その方法とは、「哀話」としての素材を「喜劇」に「異化」するものであったと、その…

かすかで、大きな、揺れ

私は泣いたことがない、などと言うとまるで井上陽水か中森明菜のようであるけれど、人前では泣かない、それだけでなく、喜怒哀楽もあまり出さない、そんな「含羞人生」(こういう表現でよいのだろうか…)を、ン十数年。感情とか心の動きというものは、外に漏…

滑稽な書き手

逸脱、もしくは脱線、と言うなら、そこには「本筋」というものが前提されている。しかし、それがない。仮縫いのしつけ糸のようなものの手触りはかすかにある。あくまで仮縫い。 『挟み撃ち』後藤明生。 とつぜん記憶がよみがえる、とつぜん事態が動く、とつ…

散歩の戒め

終日、単行本のゲラのチェック。合間に気分転換に洗足池散歩。休日の洗足池はスワンボートが楽しげに行き交う。池にかかっている木橋は、DOCOMOのCMで「おじいちゃん、池と沼の違いは何?」と女の子が携帯で電話しているあの橋。池と沼の違いは、河童がいる…

おひまな読者よ!

言うに言えないこと、言葉にならない何かを、別の言葉で表現する。(別の言葉は、じつは、「こういうことについて話しているのではない」ということを暗示する)。そして、その言葉を読む者は、ここに言うに言えないことがあるのだと感受する。そのやりとり…

自分の丘を探す

昨夜は、下北沢にて、恵泉女学園大学2008年度春学期日本語表現(文芸創作)の作品集完成の打ち上げ。 作品を書きあげるという過程で、どれだけ自分を無意識のうちに縛っていたものから抜け出すことができたか、自分を囲っていた枠を壊すことができたか、それ…

久留里線

久留里線は盲腸線。木更津から房総半島の内側に分け入って、上総亀山が終点。本当は木更津(内房)から大原(外房)までをつなぐ鉄道になる予定だったはずが、先に内房⇔外房間を小湊鉄道といすみ鉄道が結んでしまったので、盲腸線になってしまったとのこと。…

歌う珍味

昨夜は、<私>と<女王>と<赤パン>、女子三名で中華を食べ、そのあと二時間ほど軽く歌う。この三名は、珍味(食味ではなく、人間の持ち味という意味の珍味)として世(=狭い世間)に知られる。 歌の皮切りは<赤パン>。斉藤由貴の「情熱」から始まり、…

ゼロ地点

書評を書く。 「いい子は家で」(青木淳悟 新潮社)を読む。脱臼小説。こういう関節のはずされ方はあまり好きではないかもと思いつつ、もう少し読んでみようか、棚上げしようか、考える。 「世界を打ち鳴らせ サムルノリ半世記」(キム・ドクス 岩波書店)を…

入ってゆく

タハール・ベン・ジェルーンの最新刊『出てゆく』の帯には、こんな文章。 居場所はきっとどこかにある。 祖国を捨てて新天地へと人生をかけた男の、喜びと苦悩と絶望が、時にリアリスティックに時に幻惑的に描かれる。捨てることで得るものと、得ることで失…

耐寒花見

夕刻より出版関係の友人知人たちと江戸川橋公園にて花見。ひたすら寒い。使い捨てカイロを3枚、腰と両ももに張って、持ち寄り手作りの料理に乾き物をつまみに、ビールと梅酒を飲む。とにかく寒いが、とにかく花見、つまるところは花より団子。昨夜は東京国…

脱出

昨日、単行本原稿の最終稿4百枚弱を編集者にようやく送る。刊行は6月中旬に。ゲラが出るまで束の間のんびり。 小島信夫「別れる理由」全三冊をはまって読むつもり。 現在、4・3事件体験者のお話を聞き取り中であるゆえ、済州島関係も集中して読む心積も…

求愛

原稿を書く合間に、あれこれ本を眺める。 心和むのは、最近近所の古本屋で手に入れた「ゑげれすいろは詩画集」(川上澄生全集第一巻 中公文庫) ざっくりとした版画と、妙な抜け具合の言葉。 AからZまで(つまり、ゑげれすいろは)のJは、版画でトランプ…

忘れる

明日は妹の命日。 今日は、一日前倒しで、母と姉と三人で、三浦にある海のそばの霊園にお墓参りに行って来た。 亡くなって9年も経てば、いろいろなことを忘れる。 気がつけば、いろいろなことを忘れていたということを、今日思い出した。 たとえば、携帯電…

卒業

3月23日は娘の大学の卒業式だった。冷たい風吹く、まことに寒い日だった。 慶應日吉キャンパスは卒業生とその家族で溢れかえり、その家族の多さと言ったら、卒業式会場とは別に、大スクリーンで卒業式の模様を映し出して見せる家族会場があるほどで、二十…

反省する審査員

3月21日は、第二回クムホ・アシアナ杯「話してみよう韓国語」高校生大会の日本語エッセイ部門の審査員をしてきた。(他に韓国語スキット部門、韓国語スピーチ部門がある)。日本語エッセイ部門のもうひとりの審査員は作家の関川夏央さん。関川さんとは、第…

それぞれの事情

雑誌原稿、新聞原稿。新聞は3年間の連載の最終回。雑誌原稿は、沖縄、言(ロゴス)、闇の三題噺。かかりきりの単行本原稿の手直し、ようやく三分の二まで到達。断続的に3年にわたった連載がベースにあるのだが、書いた時の気分を忘れて果ててしまっている…

寄り目

家にこもってパソコン画面を見ているか、本を読んでいるか、いずれにせよ、近くに焦点を合わせ続けていると、もう、脳みその芯、脳幹のあたりから、ぐぐっとすべて寄り目になってきて、内側から自分が縮こまって、真空の瓶のなかに吸い込まれていくような感…

取り返しのつかないこと

自由が丘を歩く。 何度行っても自由が丘は地図が頭に入らず道に迷う。より正確には、行きたい店にたどり着けない。つまり、自由が丘自体が迷宮というわけではなく、ピンポイントで頭の中の地図から消えてしまっていて、一度行ったことがあって、もう一度行き…

あなたは居なさい、ぼくは行く

書評を書く。 すばる4月号を眺める。 思いっきり甘酸っぱいあんかけカニ玉を作る。宮内勝典「孤島語」を読む。 北米最後の野生インディアン《イシ》の話した淋しい孤島語。 《イシ》とはヤナ族の言葉で《人》の意らしいが、《イシ》と呼ばれた北米最後のイ…