2019-01-01から1年間の記事一覧

大事なこと  メモ

入会地/共同性/コモンズ/ともに実践する 入会地(コモンズ)の囲い込み としての近代資本主義 入会地を失い、命を落としていった死者たちをふたたび、新たな入会地に呼びだすということ。 芸能。 「さあ、全歴史の死者であるわたしたちがここにいて再び死…

土に還る /  早川ユミ『野生のおくりもの』を読みだした。

奈良に来ています。 あとひと月ほどで、奈良に完全に移住です。 ひとり本読む夜、 早川ユミさんが14歳のときに、ある陶芸作品に出会って、一瞬にして「土に還る」ということばがからだにすっぽり入ってきて、人生の根っこのひとつになったという経験をしたと…

きのう、国立のギャラリービブリオで朗読したことば。水が流れるように。

タブラに捧ぐ 2019年6月8日@国立・ギャラリービブリオ ~『太陽と月とタブラの申し子、ディネーシュ・チャンドラ・ディヨンディを唄う狂犬が吠えると』に寄せて~ はじまりは、狂犬の、愛してるよ! といういかがわしい呼び声だったのでした、 わたしは愛を…

李良枝「石の聲」 メモ

この小説が未完なのは、惜しい。 初めて距離感を持って読める李良枝の小説。 愛着はここに至って、消えた。 主人公は、在日韓国人、留学生、ソウルのタルトンネで、自分自身への手向けの詩としての、未完の「ルサンチマンX氏」を書いている。 漠然とした言い…

李良枝「由熙」 メモ

――学校でも、町でも、みんなが話している韓国語が、私には催涙弾と同じように聞こえてならない。からくて、苦くて、昂っていて、聞いているだけで息苦しい。 우리나라 (母国)って書けない。(中略)私は書いたわ。誰に、とはっきりわからないけれど、誰か…

『わたしもじだいのいちぶです』 メモ

「彼女たちの日本語は、文字からではなく、耳に入ってくる音声で習得されたもの」 「教育を介さず生活の必要に駆られて学んだ言語」 彼女たちの日本語は、「国民国家の規範の外にある」「正しく」ない日本語。 「その<余白>は、変幻自在に<本文>を侵食し…

李良枝を読むことはつらい 

以下、気になるところの抜粋 備忘のため。 『刻』より。 「在日って因果ね。韓国なんて何だ、なんて思う時もあるくせに、気になってしかたないんだもの」 「そうね」 私は素直に頷いた。言葉に初めて、チュンジャの身体、チュンジャの体臭を感じていた。彼女…

山尾三省『野の道』と宮沢賢治をめぐる会のあとに。

5月12日 野生会議99 つながるゼミナール 「山伏の目で読んで語る宮沢賢治」@西荻窪・忘日舎のゲストに来てくださった編集者アサノタカオさんとのfacebook上でのやりとりが、とても大切なことに思われて、このブログの方にそれを記録しておく。 <アサノさん…

「なもあみだんぶーさんせうだゆう外伝」

2019年5月11日 東京自由大学 「異界の声。常世の歌」第二回 「流浪のうたびと、 ~アフリカの吟遊詩人、さまよい安寿」 <話の前置き> 説経節「山椒太夫」より、弟厨子王の行方の自白を迫られた安寿の拷問死の場面 十二格(十二段)の登梯(はしご)にから…

野の道/ 宮沢賢治は、法華経を唱えつつ死への道を歩いている。 メモ

野の人としての、法華経信奉者としての賢治。 死を意識したときに、ようやくたどりつく「常不軽菩薩品」の境地 あるひは瓦石さてはまた 刀杖もって追れども 見よその四衆に具はれる 仏性なべて拝をなす 菩薩四つの衆を礼すれば 衆はいかりて罵るや この無智…

死者たちと共に生きるということ/野の道をゆくということ

山尾三省『野の道』は、この一文からはじまる。 「私は、野の道を歩いてゆこうと心を決めて、今、この野の道を歩いている」 この「野の道」とは何なのか? 単純に自然の中で生きる、というような話ではないことは確かだ。 「野の道」は、賢治の「オホーツク…

小野十三郎  メモ

「犬」 犬が口を開いて死んでいる。 その歯の白くきれいなこと。 (「抒情詩集」より) 革命は、人間の耳、聴覚に対しては最もおそくやってくるか、或は永久にやってこない。それに反して、旧い勢力や古い秩序の立ち直りときたら、これはおどろくべき早さで…

渚に立つ  メモ  つづき

「同質はこの世に存在しない。同質は存在しないと知った者だけが人を愛するという苦悩を生きうるのだ。異質ゆえにひびき合う魂、ひびき合いつつなお己れの固有の理由にこだわる精神だけが私たちを、一人一人をよく自在な方位へ展開させるのかもしれない」

清田政信『渚に立つ』(共和国) メモ

「渚に立つ。これは寂寥から立ち直れない者がなすことのできる最後の行為だ」 この声は、近代に在って、風土に立って、古代の力に触れ、近代を越えることを考えぬく者の声。 折口信夫に触媒に沖縄から放たれる声。 返信0件のリツイート0 いいね 返信 リツイ…

なぜ尹東柱なのか。  メモ

「日本語にあらがいつつ、それでも日本語で生きねばならない一人の在日の表現者」 という自己規定する詩人金時鐘がいる。 この詩人が尹東柱を語れば、当然に異なる容貌が浮かびあがる。 時代の情感に流されてのまれて歌うのではなく、 自分の抒情で歌うこと…

金時鐘「私の八月」より  (メモ)

国家と国民と植民地の民と。 いまいちど、自分自身の来歴を考えるために。 ”終戦”時、「戦勝国に準ずる解放された国民」とみなされた私たち在日朝鮮人は、一九四六年十一月五日と十二日の連合軍総司令部からの一片の声明「まだ本国に帰還していない者は日本…

金時鐘『背中の地図』から。 

「事もなく」と、金時鐘は、繰り返し、投げ捨てられ、忘れられ、消されていくモノ・コト・ヒトを歌ってきた、ということを想い起こす。 ノアの洪水さばがらの東日本大震災の惨事すらやがては記憶の底へと沈んでいって、またも春は事もなく例年どおり巡ってい…

『無謀なるものたちの共同体』(李珍景 インパクト出版会)

まずは序から。 野生会議99 立ち上げにあたって、肝に銘じる言葉。 脱近代的なコミューンであれ、前近代的な共同体であれ、 類を問わず、共同性は資本との対決なしには存続できない。そもそも資本主義は、共同体を解体し、ひとびとを寄る辺のない無力なひ…

宮沢賢治は、「耳の文芸」を「幻聴の文芸」へと置き直したところにみずからの文学を位置づけた。(西成彦『森のゲリラ 宮沢賢治』)

さらに、 「ほんとうのフィールドワーカーは、一伝承者個人の語りに耳を澄ますだけでは足りず、外部の「風」と内部の無意識の境界線上に生じる「幻聴」にも身をゆだねる大らかさを求められる。」と西さん。 幻聴。と近代の知の言葉では言うしかないものを、…

「平成とは「戦わない国家」の憲法的規定を「祀らない国家」の憲法的規定とともに空文化していった時代であるのだ」(子安宣邦の論考より)

戦う国家は、祀る国家であるということ。 戦うために、「祀ること」もまた中央集権化した国家であるということ。 近代に於て、日本人が忘れさせられた最たるものとしての無数の「小さき神々」(風土の神々)を想い起こすこと。 「国家神道の現在とは、歴史か…

語りの「場」に流れる時間について。

「語る歴史の中では、時間に沿って経験があるのではなく、経験の中で時間がつながりあっていた」(大門正克『語る歴史、聞く歴史――オーラル・ヒストリーの現場から』) これは、 これは、 「声」が形作る世界、語りの「場」を流れる複数の時間を考えるときに…

のどかな土曜日の朝、ようやくゆったりとアルテリ第7号を読んでます。

まず、渡辺京二2万字インタビュー。 石牟礼さんや谷川雁との関わりも面白いけれど、共産主義(共産党じゃないよ)という「思想」がどれだけ渡辺京二世代の青年たちを捉えていたのかということをあらためて知って、それがなにより興味深い。 思想と、それを…

藤本和子『塩を食う女たち』を読む。 つづき

「塩喰い共同体」から。 「黒人社会で生起することがらの半分も英語では描写しうたいあげることができない。現在でも黒人共同体の暮らしには言葉で描写できないことが、定義する言語がないことが多い。社会科学の対象となるべき事象、現象なのにそれを定義で…

藤本和子『塩を食う女たち』を読む。

藤本和子のこと、ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』の名訳で初めて知って、その絶妙な訳には痺れて、それから藤本和子訳のブローティガンはとにかく読んだ。 『塩を食う女たち』は藤本和子自身の著作。北米の黒人女性の聞書。 その冒頭の一文から、ガツ…

國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』 メモ <欲望のアレンジメント> 権力に対する欲望の優位 Edit WYSIWYG

ドゥルーズ哲学を読み解いて、國分功一郎いわく、 政治哲学の問題は、なぜ、そしてどのようにして人々が何かをさせられるのか、ではない。 なぜ、そしてどのようにして人々が進んで何かをしようとするのか、である。 人々は自ら進んで搾取や侮辱や奴隷状態に…

『ドゥルーズの哲学原理』 メモ つづき

第Ⅳ章 構造から機械へ ドゥルーズ=ガタリの問い 「人はなぜ自らを抑制するのか」 「なぜ自分たちの隷属を求めるのか」 ⇩ 「この一節にすべてがあるのだ、政治哲学が今も考えるべき問題のすべてが」

いま、「問いを立ち上げる」ということを考えている。 それは概念を創りだすことなのだと、気づかされる。ドゥルーズを解読する國分功一郎の『ドゥルーズの哲学原理』を手掛かりに。

以下、読書メモ。 「哲学者は問いを批判することによって問いを発見し、概念を創造する。」 (『ドゥルーズの哲学原理』第Ⅰ章より。) 「精神はどのようにして一つの主体へと生成するのか?」 これがドゥルーズが経験論哲学のヒュームから見いだした、発生へ…

そうか、ほんとうに生きるためには<野垂れ死にの精神>が必要なのだ。と痛切に思う。これは「問いの書」。生き惑え、生きなおせ、そのためには他の誰でもない自分の目で世界を観よ、自分の体で世界を感じとれ、と覚悟を突きつける「問いの書」。 

金満里。1953年生まれ。在日朝鮮人二世。母親は朝鮮古典舞踊の芸能者。 三歳でポリオを発症し、首から下が麻痺という重度障害を生きることになった。 そして今は演者は身障者だけの劇団態変の主宰者。 その人生の身世打鈴を読む。 ・施設に隔離されるように…

熊本日日新聞2019年1月6日掲載。

『建設現場』は、『現実宿り』からの大きな流れから生まれ出たもの、 だから、『現実宿り』から読むと、この世界には入りやすいと思う

「これは私の記憶なのか。それとも場所そのものの、島そのものの記憶なのか。場所の記憶が、島の記憶が私に喚びかけ、働きかけているのか」

明治以前、西の高野山とも呼ばれ、修験道の島であった「遅島」の記憶。 昭和の戦前の時代に、その記憶は既に遠いものとなっている。というのも、明治初年に、修験と神仏習合の世界が明治政府の神仏分離令とそれによって引き起こされた苛烈な廃仏毀釈によって…