東京都羽村市五ノ神 まいまいず井戸

◆羽村駅 ◆五ノ神社は駅のそば。西友の脇。 神仏分離令以前は熊野社。熊野五社大権現が祀られていたという。 今は、天照皇大神、素盞鳴尊、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、伊佐那美命、事解能男命(ことさかのおのみこと)が祀られている。 ◆五ノ神社前…

八王子城跡近くの石仏群は観音様ばかり

どおおおおおっと風吹く日に、八王子城跡あたりをうろうろ。寒かった。 八王子城の城山のふもとに観音堂がある。その脇の木立の中のあちらこちらに石の観音像、千手観音、十一面観音、千手十一面観音と。 これは西国33か所、坂東33か所、秩父34か所の…

12月30日 『大松明まるき』(斎館、庭上)

以下、宿坊多聞館のHPより。各町の若者の代表が羽黒山山頂に上り、悪鬼・邪悪の象徴とされるツツガムシを模った大松明を作り上げる。斎館で松聖によるお祓いを受けた若者達は大松明の材料となる綱・網・簾などを斎館から山頂まで担ぎ上げる。担ぎ上げた材料…

廃仏毀釈を生き延びた羽黒山 荒澤寺 

<羽黒山 荒澤寺 絵図>● 荒澤寺は、羽黒山荒澤口にあり、かつてはここより女人禁制。 ● 現在の荒澤寺 本寺 <羽黒山 正善院 絵図> ● 現在は、羽黒山ふもとの正善院が、羽黒山 荒澤寺正善院として、仏教系修験の本拠地となっている。 ● 湯立に使ったと思わ…

三山一枚絵図より、<湯殿山>

●湯殿山の霊力の源泉、湯殿岩は秘所として描かれていない。 ●湯殿山 注連寺 即身成仏鉄門海上人を祀る寺

 これは江戸時代に描かれた三山一枚絵図

沖縄に行く前に、これは観なくてはと思っていた。

山城千佳子『創造の発端 −アブダクション/子供ー」を新宿で観てきた。 面白かったなぁ。プレスリリースにこうある。 - 「山城は、これまで沖縄戦の記録と記憶の継承に始まり、在沖米軍基地によって引き起こされる沖縄が抱えてきた複雑な状況と向き合い制作…

 八王子 川口 縄切(なぎれ)

柳田国男に「ダイダラ坊の足跡」という小文がある。 冒頭の一文。 「東京市はわが日本の巨人伝説の一箇の中心地ということができる。我々の前住者は、大昔かつてのこの都の青空を、南北東西に一またぎにまたいで、歩み去った巨人のあることを想像していたの…

 旅の先々で、

お宮があれば、おみくじを引く。旅の行方を占う。★2016年6月8日 広島の宮島 厳島神社にて。旅のはじめのご託宣。40厳島神社 御神籤 「白檮宮兆(かしはらのみやのちょう) 大吉」これは末の子に生れても、そうりょうのやくを務るむるうらかたにて、…

 さまざまな「小栗判官」 まずは写真帖

2016年6月17日、今日は晴れている。日差しがちりちり痛い。垂井宿と赤坂宿の間、青墓。今では殺風景な旧道。 青墓 ここに遊女照手の墓。ここでは照手は遊女と書かれている。 照手だけでなく。義経伝説も。碑やら仏像やらすべてここに集めておいた感あ…

旅の写真帖   瀬田の唐橋〜摺針峠

雨に打たれて、6月というのに、鳥肌を立てつつ、瀬田の唐橋から琵琶湖を臨む。 生まれて初めて琵琶湖を見た。確かに大きい、海みたいだ、大きな琵琶みたいだ、いまにも歌いだしそうだ、 山は三つの頂があるから三上山、別名ムカデ山。山にまきついて人々に…

 道は人住む里に通ず、里の社の神に通ず。

大津 -草津 -守山 - 武佐 - 愛知川 - 高宮 - 鳥居本 - 番場 - 醒井 - 柏原 - 今須 - 関ヶ原 - 垂井 - 赤坂 と たどってみた。 大津は昔の関寺があったという、今の逢坂・蝉丸神社界隈から。 雨が降っている。肌寒い。出発地は神社。背後には比叡山。海のよう…

中山道を歩くうち、熊楠を読まねばならぬと気づいた。

以下は備忘メモ。 明治の世の「一村一社」(神社の統廃合)について、熊楠は強く異を唱え、「神社合祀に関する意見」を書いてる。第一 合祀の結果、産土神が往復山道一里乃至五里、はなはだしきは十里も歩まねば詣で得ずとあっては、老少婦人や貧人は、神を…

 「小栗判官 照手 車引きの段」の道。その1 さかさまの出発。蝉丸神社。

照手姫は、売られた先の美濃・青墓の遊女の宿の主から、懇願の末に五日間の暇をもらい、 青墓宿から大津・関寺まで、亡き夫の供養のためにと、 えいさらえい、一引き引きては千僧供養、二引き引いては万僧供養、 体の腐れ果てた餓鬼阿弥の乗る土車を引いてゆ…

山の神、蛇神、カカ、カガ、カク、カグ、カゴ

『山の神』を読むうちに思い出したこと。吉野裕子は、古代日本人は自然・人工を問わず、数多くのものを祖霊の蛇に見立てたという。自然物のうち、最大のものは山。多くの場合は円錐形の山。また、『古事記』の万物生成神話のなかで山の神誕生に関するものは…

つた、つた、つた  死者の呼び音。

つた、つた、つた。二上山に葬られた死者(大津皇子)は、それが大津皇子とも知らず、二上山に浮かび上がるその俤に引き寄せられて、奈良の都から葛城の当麻寺まで漂い出て、当麻寺のわきの廬堂にこもった藤原の郎女(中将姫)を訪う。死者の呼び声に応える…

 去年、福島で、征夷大将軍坂上田村麻呂と、蝦夷の悪路王大竹丸のことを考えた。

「山椒太夫」の物語を追って、福島へと旅したのは昨年10月のこと。 福島市内の弁天山には安寿・厨子王とその父と母の居城があったという「椿館(つばきだて)」があり、そこからは福島市内が一望のもとに見渡せる。この弁天山から「信夫細道」という古道が福…

「頬はポッと赤らんで、鼻は大きく、口はにっこりしなくちゃね。こんなのは初めてだ」とキム・スナクハルモニは言った。

昨年末のこと、 植民地期に日本に渡り、九州でドサ回りの大衆芝居の一座に加わり、短期間だが浪曲師として活動し、周囲にみずからの出自を明かすこともなく1953年にこの世を去ったある朝鮮人の男性の故郷を探し出し、訪ねる旅をした。名もなく異郷で果てた彼…

菅江真澄の旅

天明5年(1785)秋。旧暦の8月。津軽の外ヶ浜あたりを菅江真澄は旅をする。 それは天明の大飢饉のさなかのことで、鰺ヶ沢の港から内陸へと進み、床前の野原に差し掛かると、そこには餓死者の白骨がうず高くつまれていた。 旧暦8月15日の日記。笛、つづみ…

 福島県郡山市日和田町 蛇骨地蔵堂

蛇骨地蔵堂は養老7年(712)に松浦佐世姫が開山したと伝えられる。 説経『まつら長者』のさよ姫だ。 蛇骨地蔵堂のいわれは以下の通り。日和田の領主であった浅香左衛門尉忠繁には、あやめ姫という美しい娘があった。家臣の安積玄蕃が求婚したが、忠繁に拒…

 新潟県北蒲原郡聖籠町 聖籠山宝積院 百合若伝説

面白いなぁ、 幸若舞や古説経の「百合若大臣」の物語が、新潟の聖篭にも。 10月24日に聖篭町を訪れて、百合若大臣の愛鷹緑丸の立派な供養塔を見た。 幸若舞でも、古説経でも、百合若は蒙古との戦に豊後(=大分)から出陣して、九州の玄界島に置き去りにされ…

 「オシラ神の発見」遠野市立博物館第41回特別展のパンフを引っ張り出した。

去年の今頃は、遠野や陸前高田や津軽や恐山あたりをうろうろしていたのである。 そのとき買い込んでパラパラとしてしか見ていなかった「オシラ神の発見」をしっかりと読み直した。オシラ神の祭主・祀り手は誰か? についての概略が書かれていて、これがいろ…

 新潟日報にて2015年4月より連載中

津和野編、四天王寺編と10回分を、下記サイトにアップしています。「あんじゅあんじゅさまよい安寿」現在は、上越高田を巡り歩いて、24回まで連載は進行中。挿絵は、前回の連載「カシワザキ」@新潟日報 と同様、屋敷妙子です。これから佐渡、津軽、福島と巡…

瞽女唄のあるところ、祭文あり!

神保町の古書店キントト文庫で『瞽女ー盲目の旅芸人』(斎藤真一 日本放送出版協会 昭和47年)を入手。 4月の上越の「山椒太夫」をめぐる旅を思い起こしながら、ぱらぱらと見ている。 上越の直江津から糸魚川方面へと旅する瞽女達の旅の道を画家斎藤真一はた…

 直江の浦の沖合の波を想う

4月に上越を旅したとき、なにより印象的だったのは、北陸道から佐渡の方へと眺めやる時の海の風景だった。 風が吹けば、東から、西から、白く荒ぶる波がぶつかり合い、砕け散る。 四海波、と呼ばれる風景。この風景が念頭にあったのだろうか。 説経節「山椒…

6月15日より八王子市民となりました。

つい最近まで、横浜で生まれ育った私にとっては、八王子ははるか彼方の遠い土地だったのだが、なぜだかさまざまな因縁が重なって、気がつけば八王子近辺で家を探し始め、あれよあれよという間に八王子駅徒歩圏内の丘の上に新居を構えることに。 八王子は桑の…

 直江津の加藤亭

昭和56年発行の『古老が語る直江津の昔』(北越出版)の中のエピソード。その昔、直江津の寄席と言えば、加藤亭。 たった一つのこの寄席では「うかれ節」をやっていて、みんな聞きに行ったものだ、とひとりが言えば、もうひとりが、いやいや、うかれ節だけ…

 妙国寺とは、説経「さんせう太夫」の原曲とされる能「婆相天」ゆかりの寺という……。

寺の由緒書きによれば、寛永元年(1624)に建立。 祀られているのは、「感応稲荷」「胞姫尊天(子授安産)」「山岡神霊位(事業繁栄・除病延寿)」。この「山岡神霊位」として妙国事に祀られているのが、「婆相天」に登場する直江津の問の左衛門ではない…

神の名前

4月15日、新潟、上越、茶屋ヶ原、乳母嶽神社を訪ねた。説教祭文「山椒太夫」には、直江の浦で人買いにたぶらかされて、 安寿と厨子王は丹後由良へ、御台とうわ竹は佐渡へと向かう舟に乗せられるのだが、 海に飛び込んだうわ竹が復讐の大蛇と化して、それを鎮…

4月3日大阪で。

今日4月3日は、済州島4・3事件から67回目の春。 済州島は南北分断へと闇雲に向かった李承晩政権に抵抗したがゆえにアカの島とされて、政府による無慈悲な虐殺が繰り広げられた島。その記憶が押し殺され続けた島。ノ・ムヒョン大統領がようやく国家の過…