読書

伝承をめぐって

★かつて、小豆島四海村小江の若者組では、なんと原稿用紙にすると85枚になる「イイキカセ」を加入にあたって覚えさせられたのだという。 正月二日に若者入り、そして十五日までには覚えた。(昭和25年当時) 「言葉によって伝承せられる社会では、言葉は…

 文字を持つ伝承者(1)田中梅治翁 ――伝承における「明治二十年問題」!!

宮本常一曰く、 「文字を知らない人と、文字を知る者との間にはあきらかに大きな差が見られた。文字を知らない人たちの伝承は多くの場合耳からきいた事をそのまま覚え、これを伝承しようとした。よほどの作為のない限り、内容を変更しようとする意志はすくな…

いまを生きるカタリを考えるために。 その1

敗者の鎮魂の物語として「古事記」を読み解く三浦佑之氏 「いくつもの日本」という問題意識で語りを読み解く赤坂憲雄氏● 対話抜き書き<市と物語をめぐって> 三浦「市という交易の場所は、話の交易の場所と理解していい」 赤坂「お話というのは閉じられた空…

無縁と芸能 いまという時代を生きるために。

2017年10月23日。 戦後最悪の権力の、横暴極まる衆議院選挙大勝利の翌日に読み直す『無縁・公界・楽』最終章「人類と「無縁」の原理」。 網野善彦いわく、 実際、文学・芸能・美術・宗教等々、人の魂をゆるがす文化は、みな、この「無縁」の場に生れ、「無縁…

「(足尾鉱毒事件) 鉱毒地鳥獣虫魚被害実記」を読む

下野国足利郡吾妻村大字小羽田の老農夫庭田源八の声を書き写す。 20年前には確かにそこにあったものを語る声は、いまそれが幻となり、なかったもの、なかったことにされてゆくことを、そうして公の記憶が形作られていくことにこらえきれず声をあげている。小…

10.九州山中の落人村

「記録を持っている北里家の方では記録を見れば「そういうこともあったか」と思うことはあっても、日ごろはすっかり忘れているが、記録を持たない世界では記憶に頼りつつ語りついでいるためか、案外正確に四五〇年前以前のことを記憶していたのである」 これ…

岡本太郎『神秘日本』を読みつつ、アフリカのモザンビークのマコンデ族の呪術師たちのことを思った。

9月24日 自由が丘で、「アート巡礼特別編 アフリカの呪術と音楽 モザンビーク・マコンデ族を迎えて」に参加してきた。 「マコンデ」と聴いて、呪術と言われて、私は思わずガルシア・マルケスの『百年の孤独』のマコンドを想い起こした。マジックリアリズム。…

『秋川の昔の話』(平成4年 秋川市教育委員会発行)P66〜67から。

むかし、もの売りや旅芸人が、秋川にまわってきた。時が移り産業や文化や生活が変わるにしたがい、途絶えてしまい、今はほとんどみることができない。●こんな前置きのあと、回想されるのは、「朝鮮アメ売り」「よかよかアメ」「ピートロアメ」「毒消し売り」…

「途上」は1974年に『海』に発表。

組織と個の関係。 「離脱すると廃人のようになるといっても大げさではない」 問われているのは、 在日朝鮮人が日本語で書くということ、 日本語で組織を批判をするということ、 その組織は国家になぞらえられているという現実があるということ、 朝鮮人の共…

「詐欺師」は『群像』1973年12月号に発表。

主人公の白東基は、まるで阿Qのようだ。 魯迅の影をよぎる。ケチな詐欺をしたがゆえに、共匪(北のスパイ)の主謀者にでっち上げられた男が、すべての希望を断たれたことが分かった瞬間に、おれは共匪だ、主謀者だと、そう名乗りをあげることで、小さかった…

「トーロク泥棒」は『文学界』1972年5月号に発表。

制服制帽をトーロク(外国人登録)代わりにし、友人のトーロクを盗んだ男。 密航船の飲料水用の予備の貯水タンクに潜んで、予定がのタンクへの注水のために溺死した男。 死にかけている魚と、溺れる魚としての、ひとりの男がいる。 「そのとき、水槽の中の魚…

この「長靴/故郷/彷徨/出発」の4部作は、今再読すると、ひどくリアルだ。

発表は1971年から1973年。 舞台は終戦間際から戦後。 主人公は大阪に生まれ育った朝鮮人二世。 この植民地の民の息子は、「皇国臣民」であることと「朝鮮人」であることの間で宙づりになっている。 植民地支配下の朝鮮に穢れなき民族の姿を夢見てい…

シカラムータの大熊ワタルさんの連載がはじまった!

「「生き生きと幸せに」――チンドン・クレズマーの世界冒険」。 これが連載タイトル。 第一回は、「NYにエコーしたイディッシュの記憶」 これが実に面白かった、なにより刺激的。音楽っていいなぁ、ほんとうに。 クレズマーとは、東欧系ユダヤ人の民衆音楽…

それは金石範の営為でもある

私たちは、死者に正義を還さなければならない。 by パトリック・シャモワゾー 『思想としての朝鮮籍』(中村一成著 岩波書店)より

第一章 「戦後日本」に抗する戦後思想(中野敏男)

【問題提起】 1.そもそも、本当に、敗戦によって日本は大きく生まれ変わったのか?2.「天皇制」を戴く民主国家、日米安保体制とセットの「平和主義」、戦争が生みだした特需で繁栄を経済復興を成し遂げた「基地国家」、という現実と、「平和と民主主義」…

文藝2017夏号 特別対談  赤坂憲雄×小森陽一「東北独立宣言(とーほぐどぐりつすんべ)― 井上ひさしをめぐる地方・言葉・文学」

この対話を読んで、あらためて日本の近代って、何だったのか、民主主義って何だっだのか、をつくづくと考えた。たとえば、宮本常一が『忘れられた日本人』で描いた村共同体、村の寄り合い民主主義というものがある、それが根を断ち切られ、近代という仕組み…

『旅行記』前・後編(佐藤貢 iTohen PRESS)

昨日、下北沢のB&Bで購入して、深夜から軽い気持ちで読みはじめて、途中でやめられなくなり、一気読み。書かれているのは、中国からパキスタン、インド、ネパールを経てチベットに至り、そして中国を抜けて帰国する9か月に及ぶアジア漂泊の旅。でも、これ…

ふたたび近松、そして上田秋成、あるいは文学における近代について。

上田秋成の「狐」を語って、江藤淳いわく、作家を変身させたり回心させたりするのはイデオロギーではない。彼の心に巣喰う「狐」の仕業である。そして「狐」の存在を知らぬ人間には、「狐」と闘いながら暮らしている人間の足跡はたどり切れない。 この秋成の…

たとえば「日本語」について

江藤はこう書く。 「それは、現在までのところ、沖縄方言以外に証明可能な同族語を持たぬとされている特異な孤立言語であり、時代によって、あるいは外来文化の影響をうけてかなりの変化を蒙って来てはいるが、なお一貫した連続性を保って来たものである。し…

 江藤淳は『日本文学史』の年表を見て驚いた。

それは、 「慶長5年(1600)を截然たる境として、日本の文学史がほぼ三十年間、見方によってはその倍に当る六十年間、文字通りの空白に帰してしまっている」 ということによる驚き。この空白の意味するところとは、 関ヶ原の戦役を境に、 「奈良・平安…

 「わたしたちはいったいこの国の国土と風景に何をしてきたのか」

と、著者は、『西行の風景』を締めるにあたって、書いている。「この国の国土と風景」という時、著者は、西行が壮大な意図を持って、和歌をとおして作り上げた神仏習合の思想の上に生れいずる風景を言っている。 しかし、西行って、こんな人だったとは全く知…

 禅の中のバサラ、というのは意外なタイトルだな、と『中世芸能講義』を読む。

★禅と芸能と言えば、一休さん 後小松天皇の子。禅僧。ここに芸能者が集まる。金春禅竹、宗祇の弟子の有名な連歌師柴屋軒宗長、山崎宗鑑(連歌師)、村田珠光(侘び茶の祖)……。これを「一休文化圏」という。by 松岡心平。 ★中国の禅文化の流入 13世紀中頃…

 哲学は今日、音楽の改革としてのみ生じうる。

ムーサが歌い、人間に歌を与えるのは、言葉を語る存在がみずからの死活にかかわる住まいにしてきた言語を完全に自分のものにすることができないでいることをムーサが象徴しているからである。 音楽が存在していて、人間がたんに言葉を語るだけにとどまってい…

花の下連歌の無縁性と脱構築性

そこは社会から断ち切られた特別な場。無縁の自由空間。そこは冥界に通じる超越的な場でもある。 つまりは、境界的な場。無縁平等な人間集団の場。それは「一揆」というきわめて中世的な人間結合の現象につながってゆく。一揆とは、一味神水という神前の儀式…

花の下連歌とは、花鎮めなのであるということ

13世紀中頃、1240年代に一般大衆が参加する言語ゲームの場が、法勝寺や毘沙門堂といったお寺の枝垂れ桜の下に開かれた。熱狂すればするほど神さまが喜ぶ、熱狂すればするほど意に満たずして死んでいった怨霊たちの心が慰められる。花見は静かにやるも…

 連歌的想像力、つまり批評精神が大事ということ

連歌は瞬間的な世界変換、あるいは脱構築の連鎖によって成立する多声的で未完結の開かれた体系である。和歌が一つの世界に没入するものとするならば、連歌は常に相手の言っていることを理解したうえで、別の世界をどのように自分にぶつけていくかが問われる…

ヨブ記をパッと開いてみたのだ。

神と称する者に、「怒るな」と言われたのだった。 「怒りをもってこの世を変えることなどできぬのだ」と言われたのだった。 「この世の不条理をおまえが怒りをはらんだ声で語るとき、まるで私が責められているように感じるのだ」と言ったのだ。 私はひどく驚…

 現代民話考⒑『狼・山犬 猫』より

むがす、むがす、あつとごぬ、おずんつぁんど、おばんつぁんが、えだんだと。おずんつぁんが、めえぬず(毎日)えっしょけんめ(一生懸命)かしェえで(稼いで)家さ帰っても、おばんつぁんは、あてげえわり(接待が悪い)んだど。ほんで、おずんつぁんは、…

無法な暴力がますます跋扈する2016年夏。今日は7月31日。都知事選投票日。痛みに耐えかねる心で、レヴィナスを読み返す。

メシアとは私のことであると言ってしまったら、確かに気狂いと言われても仕方なかろう。 でも、救済者として天から降臨するメシアを斥けるレヴィナスの意志は、心に響く。 外部からの救済の断念。 断念。 この言葉は絶望的な響きをもっているな。 でも、ここ…

 宗教意識論から見た鎌倉仏教

立論の出発点。ここのところはとても重要。 「民衆にとって、教義は二の次である。大切なことは、そうせざるをえない民衆の心情を受けとめて、そこから考えることのはずである」 「知識人でもない民衆の信仰=宗教意識の立場から、民衆の念仏の場と、念仏の…