読書
「一人の唱える念仏は万人に、万人の唱える念仏は一人のために」これは融通念仏(大原の良忍が宗祖の念仏信仰の一派)の考え方。 叡尊の光明真言に通じ合う。光明真言:光明真言の功徳と同信者の助け合いによる救済、その確認のために名前を過去帳に記入する…
「山岳信仰の場合、ひとは身を浄めて山に入り、木にも岩にも滝・湧き水にも礼拝する。もちろんそこに祀られている龍神の類、不動、観音、地蔵、役行者、等々(山に祀られる神仏の種類は意外に少ない)にたいしては真剣に祈りを捧げて加護を乞う。だが、その…
13世紀日本の仏教の風景のうちの一つ 「律僧が救癩や非人救済にたずさわるのも、浄戒をたもつゆえに冒されることがないと信じるからである」(P191) 禅僧、律僧は、斎戒を持する持斉と同じく浄戒をたもち必要な約束ごとを守るゆえに、災いを遠ざけ死のよう…
「十二世紀初頭の他力の念仏が人間の罪業意識と無力感を深めてゆく時期に、民衆のなかでは、自力の極致ともいうべき、役行者を先駆者とする修験が姿を現しはじめていた。十二世紀には、必ずしも単に末法思想と無常観が世上を覆うた時代でも、権門寺社が民衆…
レヴィ・ストロース。序文より。「語源にしたがえば、<ノスタルジア>とは過ぎ去ったものや遠い昔への感情である。一方、<サウダージ>や<あわれ>はいまこの一瞬の経験を表象しているように思われる。感覚によるか、あるいが想起によるか、いずれにせよ…
大津 -草津 -守山 - 武佐 - 愛知川 - 高宮 - 鳥居本 - 番場 - 醒井 - 柏原 - 今須 - 関ヶ原 - 垂井 - 赤坂 と たどってみた。 大津は昔の関寺があったという、今の逢坂・蝉丸神社界隈から。 雨が降っている。肌寒い。出発地は神社。背後には比叡山。海のよう…
備忘メモ 1.神仏分離の影響をもっとも強く受けたのが、修験 神道とも仏教とも区別しがたい行法、呪術。そこに神仏分離が持ち込まれれば、 信仰の内実そのものが失われる。 とりわけ、佐渡の場合は、本山派六十八か院のうち三か院が還俗神勤したほかは、 こ…
以下は備忘メモ。 明治の世の「一村一社」(神社の統廃合)について、熊楠は強く異を唱え、「神社合祀に関する意見」を書いてる。第一 合祀の結果、産土神が往復山道一里乃至五里、はなはだしきは十里も歩まねば詣で得ずとあっては、老少婦人や貧人は、神を…
昨日、私のもとにやってきた本。 ロケットの正午とは、ピンチョン曰く―― 「影が東北に傾くとき、(ナチスの)ベーネミュンデの基地から試作ロケットが発射される。遅れてきた正午のサイレンのように、辺りにその音が響き渡る瞬間を、人は「ロケットの正午」…
と、『ワンダーボーイ』を読み終えて、不意に思い出した。 父を亡くした少年は、 (大切な人を失くした少年は) 3000億の星がある銀河で唯一生命体があると確認されている地球にあって、 (つまり、3000億分の1の孤独の星である地球で)、 これまで…
「三月には都城十二門の中、九つの門に犬を磔にして春気を送るのである。このようにしないと犬の禍がある。犬は金畜であるから、この犬を九門に磔にするのは「金剋木」の相剋の理によって、金気を抑えて木気を扶け、木気である春の功を遂げさせ、三月という…
『山の神』を読むうちに思い出したこと。吉野裕子は、古代日本人は自然・人工を問わず、数多くのものを祖霊の蛇に見立てたという。自然物のうち、最大のものは山。多くの場合は円錐形の山。また、『古事記』の万物生成神話のなかで山の神誕生に関するものは…
沈黙、それは言葉だ。沈黙している間、待っているのは簡単なことだ。だって言葉では村を作ることが出来るが、沈黙なら、お! 世界を創ることが出来る。それに、言葉の中にも同じだけの沈黙があり、沈黙の中にも言葉がある。
この絵本に登場する「彼ら」には、瞳がない。体も輪郭しかない。時には「彼ら」の体は透けて、むこう側が見えそうでもある。 「彼ら」は、済州島4・3事件の渦中の人びととして、絵本『木のはんこ」の中で描かれる。 済州4・3。それは、アメリカを後ろ盾…
流れる水。 新しい世界への水路。ル・クレジオ『ラガ』。訳者の管啓次郎さんが、こんなことを書いている。「文学の大きな役割が、世界を重層的に想像することの手助けだとしたら、そして追いつめられ窒息しそうな人々の別の生き方、別の世界のあり方をしめす…
つた、つた、つた。二上山に葬られた死者(大津皇子)は、それが大津皇子とも知らず、二上山に浮かび上がるその俤に引き寄せられて、奈良の都から葛城の当麻寺まで漂い出て、当麻寺のわきの廬堂にこもった藤原の郎女(中将姫)を訪う。死者の呼び声に応える…
自分のなかで曖昧であったり、分かっているつもりだったことをあらためて知る読書。 「音速より速く戦闘機や武器がやってくるというのに、耳を傾ける時間もないような多くの言葉を並べ立てることに、なんの意味があるというのか」 いま日本で安倍政権が行っ…
理解することは、生きることのすぐれて人間的なありかたである。人間は誰もが世界と和解する必要があるからである。世界とは、人がそこに余所者として生まれ、他と異なるその唯一性を失わないかぎり余所者にとどまりつづける場所である。 理解は誕生とともに…
岡野八代による、ジュディス・バトラーの言葉の引用。 このバトラーの言葉の背後には、レヴィナスがいる。 「ある特殊な仕方で、そして矛盾を孕みつつ、わたしたちの責任/応答可能性は、いったん他者の暴力に服従させられてしまったときにこそ、高められる…
と、帯にある。この本を著者が執筆した2015年の、「日本の政治構造を根本から転覆する第二次安倍晋三内閣の憲法破壊政治が、世界大に展開する合衆国の軍事行動と軌を一にした動き」であるという状況の中で、 著者はその暴力の連鎖のはじまりの地点として、20…
聖人のつねのおほせには、弥陀の五劫思惟の本願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。さればそれほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ、と御述懐さふらひしことを、いままた案ずるに、善…
保坂さんの本を読むほどに、私はなにかどこかにおそろしく駆り立てられる。以下、『遠い触覚』より。「(それら)歴史はフィクションだ。フィクションとして最高ランクのフィクションと言える、それらのフィクションを相対化するたえには、フィクションの起…
古代社会から近現代に至るまでの、古事記・日本書紀からさまざまなあることないことの文献を繙いて「盲人の生活」の歴史をたどっていくのだが、この著者が、なにか一言、世に物申したいオジサンで、とりわけ昭和の戦争については何か腹にすえかねる感じが漂…
古井由吉『野川』。受け取りそこねた沈黙がある。その沈黙に耳を澄ます。そこに聞き取る何かは、この世のものではない何かのようである。それを聴く自分自身もこの世のものではないようである。「わたしは一滴の水となった。滴となり大海に失われた。わたし…
古井由吉の作品集『聖耳』を読んでいる。延喜帝が深夜、京の端で泣く女の声を聴き取り、今すぐその声の主を尋ねよと蔵人に厳命して、探し出させた逸話を表題作「聖耳」の中に古井由吉は書き込んでいる。。 それは声にまつわる空恐ろしい語り。「一里の道を渡…
ひきつづき『東北学/もうひとつの東北』。赤坂さんが新たな民俗学を構想するとき、そこには稲作以前、「コメ」にとらわれる前の日本がある。 近代日本のアイデンティティを形作ってゆく過程で「コメ」に収斂されたナショナルな風景、そこから見えなくされた…
赤坂憲雄『東北学/もうひとつの東北』を読んでいる。遅れてきた民俗学徒を自認する赤坂さんは、いまあらたな民俗学を立ち上げることの可能性を語る。 柳田民俗学を今の時代に批判することはたやすい。しかし、批判に終始して、柳田民俗学を超えるあらたな学…