語り物

白山修験と平家物語と時宗

平家物語、倶利伽羅峠合戦。この模様を伝えたのは、白山修験の徒。 砺波、倶利伽羅峠周辺を徘徊した修験山伏は、白山神の霊験功徳を唱導し、倶利伽羅峠の谷底に馬もろとも生き埋めになった平家の大軍の悲惨な死にざまを口寄せで繰り返すことにより、惨死した…

従軍僧は語る。

『平家物語』『太平記』『義経記』『明徳記』『結城戦場物語』『大塔物語』等の軍記物には時衆関係の記事が多い。 それは時衆が従軍僧として戦場に赴き、実戦の模様をつぶさに観察した結果。いくさ語りする時衆。

 軍記物語と時宗

「惣じて時衆の僧、昔より和歌を専とし、金瘡の療治を事とす。之に依りて御陣の先へも召連れ、金瘡も療治し、又死骸を治め、或は最期の十念をも受け給ひけるほどに、何れの大将も同道ありて、賞玩あるとぞ聞えし」『異本小田原記』より。

記憶の森を前にして。

2017年2月4日。「さまよい安寿原画展」のクロージングイベント「旅するカタリ その2」では、単に語り手が朗読したり、祭文語りが説経祭文を演じるだけでなく、そこに集う人々とともに「物語の場」を開くというささやかな試みをした。まず私たちは、画家屋敷…

 めぐる旅は水の呼び声

「八百比丘尼」伝説を追った旅のエッセイです。

森崎和江の「八百比丘尼」の旅に思いを馳せつつ、新たに「八百比丘尼」を語り起こす。

旅するカタリ その1 <なにかが道をやってくる> 2017年1月7日 於・馬喰町ART+EAT 午後6時より 浪曲師玉川奈々福、舞踊手堀川久子、祭文語り:渡部八太夫。妖しの旅の者たちとともに、今の時代には忘れ果てられている「旅するカタリ」の場を開きたいと企ん…

「さまよい安寿」と「八百比丘尼」

人魚の肉を食べたために不老長寿という運命を生きることになった女がいる、 (これは「業」というべきかもしれない、いずれにせよ、限りある命の人の世で、ひとり不老長寿であることはけっして幸せなことではない)、 その女は「八百比丘尼」と呼ばれるよう…

ここ数年ずっと「旅するカタリ」ということを考えていた。

そもそも、古来、語りとは、旅の賜物であるから、「旅する」「カタリ」というのは表現としてはダブり感があるのですが、私たちの時代の物語は旅を彼方に置き忘れてきてしまったがゆえに、ことさらに「旅するカタリ」なのです。 さらには、「語り」とは「騙り…

たとえば「小栗判官」といっても、道ゆくほどに、語りもさまざまに変わる。

以下、備忘用メモ。そもそもは最初に『鎌倉大草子』があったという。そこに1423年、関東管領足利持氏に攻めれらて敗れた常陸の小栗一族の話がある。 『小栗実記』には、戦に敗れて常陸から落ちのびて、相模の国で横山一族に毒殺されそうになる小栗判官を…

 神というものは・・・ <メモ>

放浪の説経語りのような心持ちで道を歩いて、新しい宿場に入るごとに寺社を訪ねて、道々の地蔵や道祖神や山の神や名も知れぬ神の祠に手を合わせて、道をゆくことは、神を訪ね歩くことなのだと合点しつつ、考えた。神と呼ばれる存在は太古より無数にある。今…

 さまざまな「小栗判官」 まずは写真帖

2016年6月17日、今日は晴れている。日差しがちりちり痛い。垂井宿と赤坂宿の間、青墓。今では殺風景な旧道。 青墓 ここに遊女照手の墓。ここでは照手は遊女と書かれている。 照手だけでなく。義経伝説も。碑やら仏像やらすべてここに集めておいた感あ…

旅の写真帖   瀬田の唐橋〜摺針峠

雨に打たれて、6月というのに、鳥肌を立てつつ、瀬田の唐橋から琵琶湖を臨む。 生まれて初めて琵琶湖を見た。確かに大きい、海みたいだ、大きな琵琶みたいだ、いまにも歌いだしそうだ、 山は三つの頂があるから三上山、別名ムカデ山。山にまきついて人々に…

 「小栗判官 照手 車引きの段」の道。その1 さかさまの出発。蝉丸神社。

照手姫は、売られた先の美濃・青墓の遊女の宿の主から、懇願の末に五日間の暇をもらい、 青墓宿から大津・関寺まで、亡き夫の供養のためにと、 えいさらえい、一引き引きては千僧供養、二引き引いては万僧供養、 体の腐れ果てた餓鬼阿弥の乗る土車を引いてゆ…

つた、つた、つた  死者の呼び音。

つた、つた、つた。二上山に葬られた死者(大津皇子)は、それが大津皇子とも知らず、二上山に浮かび上がるその俤に引き寄せられて、奈良の都から葛城の当麻寺まで漂い出て、当麻寺のわきの廬堂にこもった藤原の郎女(中将姫)を訪う。死者の呼び声に応える…

ユダヤのハシディズムと時宗・一遍上人「踊り念仏」

昨夜の朗読劇「ディブック」上演前に、ユダヤのハシディズム(ユダヤ教敬虔派)の概略を進行役の赤尾光春さんが解説する際に、「タルムードの学習に偏重したラビ・ユダヤ教のエリート主義を批判し、無学な者も祈り、歌、踊りといった日常的な所作を通じて神…

 去年、福島で、征夷大将軍坂上田村麻呂と、蝦夷の悪路王大竹丸のことを考えた。

「山椒太夫」の物語を追って、福島へと旅したのは昨年10月のこと。 福島市内の弁天山には安寿・厨子王とその父と母の居城があったという「椿館(つばきだて)」があり、そこからは福島市内が一望のもとに見渡せる。この弁天山から「信夫細道」という古道が福…

 今様祭文の出発

1月24日 鎌倉公演をもって、「新春猿八まつり」終了。 人形浄瑠璃猿八座の3日間にわたる公演は毎回満員御礼。熱気の中で人形たちが泣き、笑い、舞った。この初春の催しのなかで、猿八座の渡部八太夫師匠が、「あやかしの夜」と銘打って、 素浄瑠璃で猿八座の…

 人には貪欲虚妄とて、欲心内に含めば、親しき中も疎うなり候。

幸若舞「信太」。 これは「山椒太夫」と同根の物語。主人公の信太の小太郎と千手が姫は、桓武平氏将門の流れである相馬氏の子で、父の相馬殿は亡くなって一年にもなろうとする。千手の姫の婿である小山の太郎行重は、亡き相馬殿への孝養とねんごろな供養をす…

菅江真澄の旅

天明5年(1785)秋。旧暦の8月。津軽の外ヶ浜あたりを菅江真澄は旅をする。 それは天明の大飢饉のさなかのことで、鰺ヶ沢の港から内陸へと進み、床前の野原に差し掛かると、そこには餓死者の白骨がうず高くつまれていた。 旧暦8月15日の日記。笛、つづみ…

 福島県郡山市日和田町 蛇骨地蔵堂

蛇骨地蔵堂は養老7年(712)に松浦佐世姫が開山したと伝えられる。 説経『まつら長者』のさよ姫だ。 蛇骨地蔵堂のいわれは以下の通り。日和田の領主であった浅香左衛門尉忠繁には、あやめ姫という美しい娘があった。家臣の安積玄蕃が求婚したが、忠繁に拒…

そういえば、奄美にも百合若伝説。

島尾敏雄『東北と奄美の昔ばなし』に収められた「奄美のユリワカ」。奄美のユリワカの名前の由来は以下のとおり。子供のない夫婦が国中のオミヤに子宝をお願いして歩いた末に、オミヤのボウサン(奄美では神仏混淆)に、オミヤの先の、たきの上のユリのえ花…

 新潟県北蒲原郡聖籠町 聖籠山宝積院 百合若伝説

面白いなぁ、 幸若舞や古説経の「百合若大臣」の物語が、新潟の聖篭にも。 10月24日に聖篭町を訪れて、百合若大臣の愛鷹緑丸の立派な供養塔を見た。 幸若舞でも、古説経でも、百合若は蒙古との戦に豊後(=大分)から出陣して、九州の玄界島に置き去りにされ…

「歎異抄」後序にこうある。

聖人のつねのおほせには、弥陀の五劫思惟の本願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。さればそれほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ、と御述懐さふらひしことを、いままた案ずるに、善…

 なぜ「語り」なのか、ということを想いつつ。

保坂さんの本を読むほどに、私はなにかどこかにおそろしく駆り立てられる。以下、『遠い触覚』より。「(それら)歴史はフィクションだ。フィクションとして最高ランクのフィクションと言える、それらのフィクションを相対化するたえには、フィクションの起…

 「オシラ神の発見」遠野市立博物館第41回特別展のパンフを引っ張り出した。

去年の今頃は、遠野や陸前高田や津軽や恐山あたりをうろうろしていたのである。 そのとき買い込んでパラパラとしてしか見ていなかった「オシラ神の発見」をしっかりと読み直した。オシラ神の祭主・祀り手は誰か? についての概略が書かれていて、これがいろ…

 新潟日報にて2015年4月より連載中

津和野編、四天王寺編と10回分を、下記サイトにアップしています。「あんじゅあんじゅさまよい安寿」現在は、上越高田を巡り歩いて、24回まで連載は進行中。挿絵は、前回の連載「カシワザキ」@新潟日報 と同様、屋敷妙子です。これから佐渡、津軽、福島と巡…

『佐渡 伝承と風土』(磯部欣也 創元社)より。

佐渡・鹿野浦の「安寿塚」をめぐって。その歴史的背景を探るならば……。 鹿野裏に「安寿と厨子王」の安寿が祀られているとすれば、安寿は佐渡に生きて渡ってきたということが前提になる。数ある「山椒太夫」の物語の中で、安寿が生きて佐渡に渡ってきて、佐渡…

テンポウ語りとくれば、「五色軍談」

「五色軍談」というのは、「チョンガレ」の中越地方における異称。幕末から近代に一世を風靡。もとを正せば、説経祭文だという。これを小沢昭一の『日本の放浪芸』で聴いてみたのだが、薩摩若太夫の興した説経祭文に比べると、野太く、素朴。三味線の響きは…

テンポウ語り まとめ

鈴木昭英先生曰く、「テンポウ語りは、盲人座頭の手習い初めの滑稽諧謔に富んだ短い語りもの」「本格語りものの合いの狂言として早口で語られたこともあろうが、祝福語りものの要素が強く」「座頭の正月門付け風俗として諸書に述べられ、またこの遺習が明治…

テンポウ語りと、明治の世の替え歌

伝えられている「テンポウ語り」に、こんなものがあった。 ゆうべー大きな夢を見たー ゆうべ大きな夢を見たー 駿河の富士山荷縄でしょってー 奈良の大仏さま懐へ入れてー 軍艦二そうを下駄にはき、 電信柱をステッキについてー 通りかかった酒屋の店でー 七…