説経祭文「信徳丸」の春日大明神の謎が解けた。

今日は、ピヨピヨ団とともに、大阪は八尾の恩智、茶吉庵を訪ねた。 HPには、「ほんまもん」のアートが集まる 築250年の古民家、とある。https://chakichian.co.jp/ 19代目当主の萩原さんから恩智という土地の歴史(話は物部氏の頃からの反骨の物語としてはじ…

ジェイムズ・クリフォード『リターンズ 二十一世紀に先住民になること』 メモ

締切前だというのに、うっかりこの本の第二部「イシの物語」を読みはじめて、やめられなくなってしまった。 「最後のヤヒ イシ」をめぐる物語だ。 そもそも、イシとは、1911年8月29日に北カリフォルニアの小さな町オロヴィㇽで保護された先住民「ヤヒ」の最…

復習  植民地期韓国の童謡運動 概略

童謡「半月」に寄せて。 作詞・作曲 尹克栄 푸른 하늘 은하수 하얀 쪽배에계수나무 한 나무 토끼 한 마리돛대도 아니 달고 삿대도 없이가기도 잘도 간다 서쪽 나라로 은하수를 건너서 구름 나라로구름 나라 지나선 어디로 가나멀리서 반짝반짝 비치이는 건샛…

安藤昌益の「猫」あるいは「炉」

最近、毎月勉強会に参加して、少しずつ読んでいる安藤昌益。 江戸のアナキスト。 ただし、ここに抜き出すのは、興味関心に沿った非常に偏った抜粋。 安藤昌益全集 第1巻 稿本自然真営道第二十五より 「炉ヲ以テ転下一般ノ備ハリヲ知ル論」 転下万国ノ人家、…

備忘録 田村語りにまつわること  その2

奥の細道 末の松山・塩釜 それより野田の玉川・沖の石を尋)ぬに末の松山は寺を造りて末松山(まっしょうざん)といふ。 松のあひあひ皆墓原(はかはら)にて、はねをかはし枝をつらぬる契りの末も、終にはかくのごときと、悲しさも増りて、塩がまの浦に入相のか…

備忘録その1  「田村語り」にまつわること

以下のメモは、『東北の田村語り』(阿部幹男 三弥井書店)による [坂上田村麻呂の説話化の道]811(弘仁2) 「毘沙門の化身、来りてわが国を護ると云々」(『公卿補任) その1 清水寺がらみ 平安末 『今昔物語集』巻11 清水寺草創縁起 大和国子島寺の延…

簾内敬司を読む。

森崎和江つながりで、あらためて簾内敬司をじっくりと読んで、茫然としている。 この人の、深々と東北の風土に根差した、この恐るべき声を、どうして今まで聞き取ることができなかったのだろうかと、自分の小さな耳にがっくりとする。 小説『千年の夜』に寄…

國分功一郎『中動態の世界』  メモ

なぜ「中動態」の本を読むのかと言えば、 「私」という「一人称」を森崎和江の問いがずっと、私の胸の奥深いところに刺さっているから。 妊娠出産をとおして思想的辺境を生きました。何よりもまず、一人称の不完全さと独善に苦しみました。(中略) ことばと…

ベンヤミン「新しい天使」    メモ

――これから進む道のための書き抜き―― 瓦礫 「新しい天使」と題されたクレーの絵がある。そこには一人の天使が描かれていて、その姿は、じっと見つめている何かから今にも遠ざかろうとしているかのようだ。その眼はかっと開き、口は開いていて、翼は広げられ…

「記憶のケア」 川本隆史が提唱する概念  メモ 

記憶の継承、共有、伝承のために。 広島出身の川本隆史は、固定化された記憶と言う意味での、いわゆる「原爆神話」のゆがみや欠落を丁寧に見直す作業を通じて、固定観念へと凝固した「記憶」をほぐしつつ、共通の認識に向かって歩むことを考えた。 そして、…

森鴎外『山椒大夫』  気になる枝葉の言葉  メモ

① 信者 向うから空桶からおけを担かついで来る女がある。塩浜から帰る潮汲しおくみ女である。 それに女中が声をかけた。「もしもし。この辺に旅の宿をする家はありませんか」 潮汲み女は足を駐とめて、主従四人の群れを見渡した。そしてこう言った。「まあ、…

8月6日 原民喜の詩を読む    黙祷

碑銘遠き日の石に刻み 砂に影おち崩れ墜つ 天地のまなか一輪の花の幻 風景水のなかに火が燃え夕靄のしめりのなかに火が燃え枯木のなかに火が燃え歩いてゆく星が一つ 悲歌濠端の柳にはや緑さしぐみ雨靄につつまれて頬笑む空の下水ははつきりと たたずまひ私の…

「場」をめぐるメモ

イメージの水底へ降りる、と今福さんは言った。 (きのう「原写真論」の刊行記念トークを聞きに京都まで行ってきたのだ) (そうか、やはり、水なんだな) 言語的な限界をイメージで突破できないか、とも今福さんは言った。 (言語は言語であること自体に、…

メモ「祭文」について。 (復習)

祭文とは、祈願・祝呪・讃歎の心を神や仏にたてまつる詞章。 そもそもは陰陽道系の呪詞、神・仏・儒のいずれでも用いられた。 平安時代中期以降に、信仰とは関連の薄い「祭文」がつくられる。 神事・仏事の俗化とともに、「祭文」も俗化してゆく。 祭文俗化…

メモ 「説経」について。(復習)。

そもそもは「説経」とは、仏教の「唱導(仏法を説いて衆生を導く語りもの)」を源とする。 唱導師による「説経」。これは、関山和夫によれば、「節付説教」の意。 単なる説教(法話)ではなく、語りのパフォーマンスになっているということ。 これは、たとえ…

「生の悲しみ」 (『声 千年先に届くほどに』ぷねうま舎 より) 韓国語版

「생(命)의 슬픔(生の悲しみ)」 (原文日本語 韓国語訳:金利真) 사람은, 외로움도 슬픔도 아픔도, 결코 메워낼 수 없어서, 다만 한 가지 가능한 것은, 존재의 외로움, 존재의 슬픔을 함께 바라보고, 함께 있는 것 일테지. 존재의 심(芯)에 머무는 외로움…

森崎和江 エッセイ 気になる言葉 メモ

◆「ナヨロの海へ」 私は日本人のまねをしている日本人ではなかろうか ◆「悲しさのままに」 かつての日本の植民地で生まれ育ったものですから、自分を生き直したくて、くりかえし日本とは何だろう。わたしとは、いのちとは、と自問しながら彷徨するのは、やむ…

30年前に韓国で書いた原稿を、見知らぬ韓国の方が送ってくださった。びっくり。

1990年 1月号 MBCガイドに掲載された日刊広告比較の原稿。 MBCは韓国の放送局。 MBCに在職されていたという方から、今日、facebook経由で送られてきた。 本当に驚いた。

森崎和江 『慶州は母の呼び声』 メモ

これは、森崎さんにとっての『あやとりの記』なのであり、『苦海浄土』なのだと思った。 失われた「はは(オモニ)のくに」の記録。痛切。哀切。 ◆唄の記憶、ひとつ。 先に行くのはどろぼうだよその次はヤンバンサラムあとから行くのはシャンヌム いつごろ生…

「生む・生まれる話」(『ふるさと幻想』所収) メモ

これは松本健一への公開書簡。 こんな手紙を送られた松本健一は鳥肌が立つほど震えただろうなぁ、と思う。 いきなりこんな言葉が書きつけられる。 私は、もの書きになってしまいましたが、書きことばによる表現ぬきに生きることができなかったからで、もの書…

森崎和江「ノン・フィクションとしての民話」(『詩的言語が萌える頃』所収)  メモ

これはすごいエッセイだと思う。 冒頭に森崎和江の見つづけてきたこの世の風景が語られる。 まるで大きな肉体のように関連としていた社会が崩れ、ひとりひとりの人間たちが、名づけようもないほどとりとめのない個体となるさまを、私はこれまで二度、みて来…

森崎和江  不穏な詩

妣(はは) 桃太郎 風車が赫いね 西のそらに いちめんにまわっているよ みえないのかい そうかい 血の海さ 遊女 つばを吐いて とび散ったほうへ歩く 風がないね 虫 たとえば紫宸殿の 即位の秘儀 その観念をかぜにさらし水にさらし つみくさの丘にすわる たと…

詩「ほねのおかあさん」森崎和江  <産むことの思想>をうたう  メモ

森崎和江の身体感覚と言葉への感性。あまりにも鋭敏な感覚。 森崎和江の世界は言葉にならない欠如に満ちている。その欠如を生き抜いていくには、言葉が必要、思想が必要、切実に必要。 それは、はじまりの言葉であり、はじまりの思想になるほかはない。 ある…

石牟礼道子『草の道』メモ  求広大無辺之宝土候之上ハ火宅之住所不令望候(原城からの矢文)

もう30年も前のことになるのか。 石牟礼道子さんの天草探訪の旅に1度だけお供したことがある。 原城跡を訪ね、鈴木神社にも伺った。 当時はこの度が『春の城(アニマの鳥)』に結実するとはまったく知らなかった。 私にとっては初めての天草の旅だった。 『…

石牟礼道子『アニマの鳥』メモ2  しもじもの声

第5章 菜種雲 おうめ。 あたいの仕込む酒はな、甕の中で、ナマンダブ、ナマンダブちゅうて泡の立つとぞ。お念仏唱えん者には、呑ません 。 顔を見たこともない殿さまや、代官所の役人たちがどのくらいの人間だか知らぬが、わが身を使って働いたことのない者…

水俣で漁師の話を聞く。

一昨日5月16日、溝口トヨ子ちゃんの鎮魂大芸能祭にために訪れた水俣で、20年ほど前に不知火海での夜明けの太刀魚漁に連れてってくれた漁師のTさんに、ばったり会った。 この20年ほどの間に海はずいぶん変わったとTさんは言った。 まず、太刀魚が取れなくな…

「居場所を失くしたカミサマたちの歌」

「居場所を失くしたカミサマたちの歌」 悪いことをしたらカミサマのばちがあたるというけれど、 問題はそのカミサマがどこにいるかということでして、 まだ私がタンポポの花やテントウムシくらい小さかったころに、 おばあちゃんがそう言って教えてくれたこ…

石牟礼道子『アニマの鳥』メモ1 四郎の言葉集

四郎の言葉を石牟礼道子の言葉として聞く。 第三章 丘の上の樹 P100 四郎「数というものを追うてゆけば、前にも後ろにも限りがなく、ついには虚空となり申す」 p102 四郎「人を売り買いする船のカピタンも水夫も、みな南蛮経を読む人びとであるのを想います…

福井県勝山 平泉寺白山神社 (この件、勉強中。記述はメモに過ぎず)

奈良から新潟・柏崎に行くのに、白山神社に立ち寄ることにした。 泰澄開基の平泉寺白山神社。 ここの御手洗池(みたらしいけ)で修行する若き泰澄の前に、白山の神・十一面観音が現れたのだという。 今回は特に予備知識もなく訪れたのだけれども、 そしてこ…

森崎和江『異族の原基』 メモ2

人は、人のままに言葉を持つ権利がある。 by森崎和江