2021-01-01から1年間の記事一覧

森崎和江  不穏な詩

妣(はは) 桃太郎 風車が赫いね 西のそらに いちめんにまわっているよ みえないのかい そうかい 血の海さ 遊女 つばを吐いて とび散ったほうへ歩く 風がないね 虫 たとえば紫宸殿の 即位の秘儀 その観念をかぜにさらし水にさらし つみくさの丘にすわる たと…

詩「ほねのおかあさん」森崎和江  <産むことの思想>をうたう  メモ

森崎和江の身体感覚と言葉への感性。あまりにも鋭敏な感覚。 森崎和江の世界は言葉にならない欠如に満ちている。その欠如を生き抜いていくには、言葉が必要、思想が必要、切実に必要。 それは、はじまりの言葉であり、はじまりの思想になるほかはない。 ある…

石牟礼道子『草の道』メモ  求広大無辺之宝土候之上ハ火宅之住所不令望候(原城からの矢文)

もう30年も前のことになるのか。 石牟礼道子さんの天草探訪の旅に1度だけお供したことがある。 原城跡を訪ね、鈴木神社にも伺った。 当時はこの度が『春の城(アニマの鳥)』に結実するとはまったく知らなかった。 私にとっては初めての天草の旅だった。 『…

石牟礼道子『アニマの鳥』メモ2  しもじもの声

第5章 菜種雲 おうめ。 あたいの仕込む酒はな、甕の中で、ナマンダブ、ナマンダブちゅうて泡の立つとぞ。お念仏唱えん者には、呑ません 。 顔を見たこともない殿さまや、代官所の役人たちがどのくらいの人間だか知らぬが、わが身を使って働いたことのない者…

水俣で漁師の話を聞く。

一昨日5月16日、溝口トヨ子ちゃんの鎮魂大芸能祭にために訪れた水俣で、20年ほど前に不知火海での夜明けの太刀魚漁に連れてってくれた漁師のTさんに、ばったり会った。 この20年ほどの間に海はずいぶん変わったとTさんは言った。 まず、太刀魚が取れなくな…

「居場所を失くしたカミサマたちの歌」

「居場所を失くしたカミサマたちの歌」 悪いことをしたらカミサマのばちがあたるというけれど、 問題はそのカミサマがどこにいるかということでして、 まだ私がタンポポの花やテントウムシくらい小さかったころに、 おばあちゃんがそう言って教えてくれたこ…

石牟礼道子『アニマの鳥』メモ1 四郎の言葉集

四郎の言葉を石牟礼道子の言葉として聞く。 第三章 丘の上の樹 P100 四郎「数というものを追うてゆけば、前にも後ろにも限りがなく、ついには虚空となり申す」 p102 四郎「人を売り買いする船のカピタンも水夫も、みな南蛮経を読む人びとであるのを想います…

福井県勝山 平泉寺白山神社 (この件、勉強中。記述はメモに過ぎず)

奈良から新潟・柏崎に行くのに、白山神社に立ち寄ることにした。 泰澄開基の平泉寺白山神社。 ここの御手洗池(みたらしいけ)で修行する若き泰澄の前に、白山の神・十一面観音が現れたのだという。 今回は特に予備知識もなく訪れたのだけれども、 そしてこ…

森崎和江『異族の原基』 メモ2

人は、人のままに言葉を持つ権利がある。 by森崎和江

森崎和江『異族の原基』 メモ1

「非政治的基底からの共闘」(70年9月『現代の眼』所収) 閉山した筑豊の炭坑の元坑夫たちが流浪の労働者として流れ込んでいった北九州・八幡製鉄所での労働組合運動をめぐって、 北九州を拠点とする「沖縄を考える会」の活動をめぐって、 「考える会」が打…

藤野裕子『民衆暴力――一揆・暴動・虐殺の日本近代』  メモ

近代国家とは、 「ある一定の領域(中略)のなかで、レジティマシーを有する物理的な暴力行使の独占を要求する(そして、それを実行する)人間の共同体」(マックス・ウェーバー『仕事としての学問 仕事としての政治』より) 近世においては「仁政イデオロギ…

「桜の木の下で」 (溝口トヨ子ちゃんのテーマ) 5月15日トヨ子ちゃんへの祈りの大芸能祭@水俣・相思社のために

「桜の木の下で (溝口トヨ子ちゃんのテーマ)」 (「リンゴの木の下で」のメロディで) 桜の木の下で 今日もまた会いましょう たそがれ 赤い夕陽 海に沈むころに 楽しく輪になって みんなで歌いましょう 思い出す かわいいあの子 桜の木の下で

「居場所を失くしたカミサマたちの歌」

悪いことをしたらカミサマのばちがあたるというけれど、 問題はそのカミサマがどこにいるかということでして、 まだ私がタンポポの花やテントウムシくらい小さかったころに、 おばあちゃんがそう言って教えてくれたことには カミサマはどこにでもいる 山にも…

『実践 日々のアナキズム ―世界に抗う土着の秩序の作り方』(ジェームズ・C・スコット) メモ ~ちっぽけな ”ひとり” の闘いのために~

『実践 日々のアナキズム ―世界に抗う土着の秩序の作り方』(ジェームズ・C・スコット)を読んで、いろいろ楽しくなったというか、心が軽くなったと言うか。 この世界の問題があまりに大きすぎて、いったいどうしたらいいんだろかと立ちすくんだり、途方に暮…

奈良県 田原本 天理 「牛頭天王」銀座を歩いて、ふっと牛頭天王と天理教を結ぶものを妄想した。

まずは長い長い前置き、牛頭天王ツアーの記録。 本日の牛頭天王ツアーは、ここから。 ◆奈良県 田原本町 津島神社 (近鉄 田原本駅のすぐ近く) 境内右手には、池の中に厳島神社(向かって左)、金毘羅神社(右)、 豊受大神宮 その脇に「国威発揚」と記され…

森崎和江『北上幻想』 メモ

北に向かうのは、そこが荒蝦夷の地だから。と言ってしまうとあまりにざっくりしすぎか。 近代国家がそのよりどころとした建国神話において、きれいに封じ込められた「いのち」の原風景をそこに見たからと言うべきか。 北に向かう旅は、森崎和江の長きにわた…

牛頭天王、まつろわぬ神のイメージ 『牛頭天王島渡り』祭文より メモ

牛頭天王に宿を貸すことを断ったために滅ぼされる蘇民古端は釈迦の弟子で、 古端の家を襲った牛頭天王と釈迦の間で問答が繰り広げられる。 そして―――― その時釈迦仏聞こし召し、 「いかなる魔王・鬼神にてましますぞ。 仏の御弟子まで悩ます事不審なり」と宣…

牛頭天王と十一面観音 『牛頭天王島渡り」祭文より メモ

奥三河 東栄町に残る「牛頭天王島渡り」祭文のうち、 牛頭天王の子である八王子の第八番目 蛇毒気神の物語に驚かされる。 竜宮から日本へと向かう牛頭天王の一行(妻の薩迦陁女、七人の王子、8万4千の眷属ら)を赤き毒蛇が波をかきわけ追いかけてくる。 赤き…

北米黒人女性作家選③『死ぬことを考えた黒い女たちのために』 藤本和子による解説  メモ

「記憶できないほど愚かになったから書くのよね」 と、トニ・モリスンは言ったという。 同時に、また、トニ・モリスンは国でも州でもない、共同体や町についての細かいこと、雰囲気、手ざわりについて語ったという。それは黒人女性がそこで生きて、根を生や…

森崎和江『奈落の神々 炭坑労働精神史』 メモ3 

なぜ、森崎和江は、奈落の底の神々を追ったのか? 第三章の最後の項「消えない」にその問題意識、森崎和江の立ち位置ははっきりと語られている。 炭坑という奈落に生きる人びとが、共に生きた奈落の神々がいる。 坑夫たちは彼らの「やまの神」のみならず、地…

ファン・ジョンウン『続けてみます』  メモ

読み終わって、すぐに、こうやって書きながら何が語られていたのかを想い起こしてゆく、眠りにつく前、半分夢の中で読んでいた世界だから、彼らの世界もまた私の夢のような心持ちにもなる、目覚めても忘れることのない夢。 夢のなかで、私は思わず呟いている…

森崎和江『奈落の神々 炭坑労働精神史』 メモ2  内発性をめぐって。

この本はを読むのは15年ぶりで、 その15年間は私自身の旅の作法、人びとの向き合い方、生き方を 大きく変えてきた15年でもあった。 だからだろう。 まるで、初めて読む本のようにして、この本を読む。 かつて文字で追って頭で理解した(と思っていた)ことと…

森崎和江『奈落の神々 炭坑労働精神史』 メモ

<はじめに>から なぜ森崎和江は果てしなく旅をしたのか……。 「私はぬきさしならなくなっているだけである。引きかえすすべがなくなっている。」(森崎和江『奈落の神々 炭坑労働精神史』はじめに より) 思わず、「あっ」と小さな叫びをあげて、息をのんで…

小野十三郎による谷川雁と黒田喜夫。  森元斎『国道3号線』からの重引

谷川雁と云えば、すぐ私の頭に浮かぶのは黒田喜夫である。一人は北九州、一人は東北の詩人で、地理的にも対極にあった詩人だが、黒田喜夫にもあったコンミュンのイメージは、谷川君とは、対極とは云えないにしても、ちょっと存在の次元がちがっていた。黒田…

渡辺京二による石牟礼道子 「彼女の文学は庶民文学ではないのです」 

自分たちの世界に向けられた近代知識人のまなざしを否定して、逆に自分たちの生活世界から近代の正体を明らかにしてゆくところに石牟礼文学の本質があると申しましたが、その際彼女は決して被抑圧者としての民の利害や言い分を代表するという方向をとってお…

森崎和江   民族語  メモ

権力によって民族語をうちくだくことはゆるしがたい残忍さであるが、民族が言語としてよって立つ日常的伝統を、他民族のなかへ移植することも不可能なのである。私は日本語をつかいながら、そのことばのもつイメエジのほとんどを朝鮮化して用いてきた。その…

言葉   森崎和江

私たちの言葉は、まだその闇へ到達できておりません。 (『ははのくにとの幻想婚』所収「地の底のうたごえ」より) 性が単独な機能ではないのに、女の性は生誕を具象としてもち、男の性は生誕を抽象とします。困ります。なぜなら具象の力とはたいへんなもの…

森崎和江  詩をめぐって

詩とは、自然や人びととのダイアローグだと、幼い頃から思ってきました。人っていうのは、自然界の中で、鳥や、みみずや、蟻なんかと一緒に生きているわけでしょ。小さい時、私はいつも、詩や絵を描いて遊んでいたけれど、それは、天然、自然とのダイアロー…

森崎和江 産みの思想  メモ

「産み・生まれるいのち」より 死について古来人びとはさまざまに考えてきているのに、産むことについてなぜ人間は無思想なのだろうと、若い頃から疑問に思ってきました。死は個人にとって、個としての生活を完結させます。これにたいして、産むことは個に限…

森崎和江『まっくら』メモ

出発点。 <はじめに>より 私には、それとも女たちは、なぜもこうも一切合財が、髪かざりほどの意味も持たないのでしょう。 愛もことばも時間も労働も、あまりに淡々しく、遠すぎるではありませんか。なにもかもがレディ・メイドでふわふわした軽さがどこま…